強い愛情から解き放たれて自由な大人になっていた私

先週のことになる。実家に行ったとき、支配欲の強い姉が頑に従おうとしない父にキレてちょっとした修羅場があった。大声を出しながら父に掴みかかる姉。それは亡き母と父の過去の喧嘩を彷彿とさせる光景だった。

私は声も出せずに固まってしまったが、他方で他人事のように目の前の光景を見ている自分もいることに気づいた。一時期は、大声を聞いたり喧嘩シーンを見たりすると過呼吸になったり泣き出したりしてPTSDかもと言われた私が、家族の修羅場を見ながら「困った人たちだなあ」と冷静でいられたのだ。

それは入院中の認知行動療法のおかげかもしれないし、広島でカウンセリングを2年半受けたおかげかもしれない。でも一番は、家族愛を知らない夫に毎日泣かさつづけた結果、否が応でも人に無関心にならざるを得なくなったおかげだろう。つくづく私も強くなったものだ。

親子も夫婦も所詮他人。人の考え方は簡単には変わらない。嫌な事があったら人を変えようとするのではなく自分が変わる・・・のでもなく、関わらないこと。とにかく距離を置くことだ。私はこれを夫の行動から学んだ。家族間でこんなのおかしいのではとも思うが、すごく楽であることは確かである。

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父と二人になった時、私が「姉は母そっくりだね」と言ったら父は「母はまだ可愛げがあった」と笑った。やっぱり父はASD(アスペルガー症候群)だ。恐ろしい顔で怒鳴り差別用語を連呼し時には暴力をふるう女性のどこに可愛げがあったのか、私にはさっぱりわからない。今も幼少期のトラウマに苦しんでいる私の気も知らないで、”可愛げ”とか言われて拍子抜けした。父がこうやって他人の気持ちを何も理解しないから、母も姉も苦労したんだろう。かといって、ASDとわかっている人を力づくで自分の考えに従わせようとするのはやはり論外。誰であれ、他人の価値観は尊重しなければいけない。と、思う。

自宅に帰った私は、夫を見て少しホッとした。決して喧嘩をふっかけてくることのない人。適切な距離さえ取っていれば害のない人。実家を離れて夫と暮らしているうちに、私のホームはここになったのだなあと思い知らされる。がんじがらめの愛情に縛られて守られているより、今の私は一人のほうが気楽なのである。

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