ひとりじゃないよというタイトルにしたのは

 15年前ぐらい前に書いていたブログは「どんぐりの背比べ」というタイトルだった。

どんぐりの背比べ
どれもこれも平凡で特にすぐれたもののないことのたとえ

 当時はフェレットを飼っていて、その子の名前が”どんぐり”だった事がこのタイトルにした理由の1つ。そしてもう1つの由来は、ことわざ「どんぐりの背比べ」の意味でもありブログのサブタイトルでもある「どれもこれも平凡で特にすぐれたもののないことのたとえ」。これ実は、当時の私の自己肯定感の低さを表している言葉だった。

 小さい頃から親の言うことをなんでも聞くイイコで超がつくほどの優等生で、順調にバリキャリとして働き輝いていた頃の私は、端から見たら優れた人間に分類されていたかもしれない。けれどうつ病で会社を辞めてアイデンティティを一気に失ってからは、自分が何の価値もないまるでブナ林の湿った土の上にたくさん転がっているただのどんぐりの1つのように思えたのだった。あの頃は遅れてやってきた中二病をこじらせ、ハートに巻いた包帯をほどけぬまま、あふれ出る言葉すべてに意味を持たせて1日何件も記事を書いていたものだった。

an acorn on ground photo
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 それから15年たった今。月2回のカウンセリング(これについてはまた後日書こうと思う)を2年半受けたものの、残念ながら自己肯定感は相変わらず低いままである。長年蓄積した価値観はそうそう変わるものではなかった。けれども、どんぐりならどんぐりでもいいじゃないか、周りをみたら同じように傷つき腐りかかっているどんぐりの仲間はいっぱいいる、そんな諦めにも似た穏やかな考え方ができるようになったのだ。

 1つ1つのどんぐりたちは若返ることはできない。ただ朽ちてゆくのみ。互いに助け合うこともできない。それでもふと横をみると、大勢の仲間たちが時にはくっつき時には距離を保ちつつ、それぞれが静かに土に帰るのを待っている。ひとりじゃない。ひとりじゃないよ。 

 そんな気持ちをこめました。

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