寝込んでしまったが生きている

1週間ほど寝込んでしまった。

不調は先週末、夕食後にお皿を拭いていた時に貧血のようになって床に倒れてしまったことから始まった。途中から訳が分からないほど苦しくなって走馬灯が出る余裕もなく死を覚悟したが、何度か嘔吐したらだいぶ楽になってその日は寝た。

翌日は少し動けたのだが、ずっと胃が痛くて何も食べられずに微熱が続き、それから4日間は泥のように寝た。まるで1年分の睡眠不足を一気に補ったかのようだった。本当に疲れていた。

その間いろいろな事を考えた。母がちょうど2年前の今頃、何も食べられないと言い出したこと。母はそれから1か月ほどで急逝してしまったこと。

ボーダー(境界性パーソナリティ障害)さんならわかるかもしれないが、私は元々母との境界がなく人格を同一視してしまうところがある。小さい頃から母の気持ちを推し量って推し量って生きてきたせいかもしれないが、私が具合が悪いと言うと母も具合が悪く、母が具合が悪い時には私も具合が悪くなる事が多かったので、なんとなくずっと私は母の分身のような気がしていた。

だからだろうか。先週倒れてから、私は母と同じように何か悪い病気でこのまま死ぬのかもしれないとぼんやり考えていた。生きる気力が全くなくなってしまっていた。

母が何も食べられなくなった時、私は悪い娘なので数回しかお見舞いには行かなかったけれど、父も姉もそれはそれは一生懸命に昼夜を問わず看病した。それに比べたら私は寝室に一人ぼっち。おかゆやおむすびを持ってきてくれる人もいない。みじめなものだなと思った。と同時に、入院してからの母はコロナのせいで面会謝絶だったので、誰も来やしないと電話で酷く怒っていたことを思い出していた。どんなにか孤独だっただろうかと思うと泣けてきた。あの時なぜ手紙の一つも差し入れしなかったのだろう。だから罰が当たって、今こんなにも孤独なのかもしれない。そんなことを考えていた。

とはいえ、なんとか復活。まだ少し胃は痛いのだが、熱が下がり動けるようになった。私は悪性リンパ腫ではないし、母とは別の人間だ。私はもっと生きる。私は幸せになってもいい。何度も口に出して何度も暗示にかける。私は生きる。

奇しくも明日は母の誕生日。許してね、ママ。

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