私が幼少期に母からされていたことは、やっぱりおかしかったのかもしれない。
最近SNSを見てたりするとそういう気づきが芽生えてきて、考え出すとフラッシュバックして動けなくなる。
そんな日々を送っている。
頭の中で「あれはおかしかった?」「おかしくなかった?」「なんであんなことされたんだろ?」「私はどうすればよかったんだろ?」「忘れた方がいい?」「忘れられない?」って自問自答していても全く昇華できないので、ちょっと吐き出させてほしい。
嫌な記憶は数えきれないほどあるけど、今日は怪我や病気の健康面でネグレクトされて辛かった思い出だけ。
あれは幼稚園に通ってたころ。
夕方、日が落ちて暗くなった中を姉と走っていたら緑色のひし形金網に激突してしまい、右目の横に金網の末端が刺さってしまったことがあった。
眼球に刺さらなくてよかったけど、酷い流血で顔中生暖かくドロドロになっていた感触を覚えている。
それが私の最古の怪我の記憶で、その時母に何を言われたかどうされたのかは全く覚えていないのだが、たぶんだけど酷く迷惑がられたか怒られたか無視されたか、とにかく何もしてもらえなかったんだよね。
翌日の朝も泣いていたら仕方なく病院に連れて行ってくれて、でももう血は止まっていたから病院では絆創膏だけ貼ってもらって、「ほら!なんでもなかったじゃない」と言われて幼稚園を遅刻したのは覚えている。
今でも目の横に傷はある。
それから小学校低学年のころ。
友だちと丸太を渡って遊んでいたら急に丸太が転がって丸太ごと落下してしまい、顎をコンクリートに強打して顎がパックリ避けて、酷い流血をしたことがあった。
生暖かい血が永遠に流れ続けるあの感触って、本当に気持ち悪いものだ。
すぐ家に帰ったが、前述の記憶があって母に言うのがとてもとても怖いと思って途方にくれてしまった。
洗面所で流れる血をポタポタ垂らしながら真っ赤に染まる洗面ボウルを見ていたら、母が呆れたように横を素通りしていったのを覚えている。
夜ご飯になっても血が止まらなくてずっと洗面所に立ってたら、「呼んだのに食卓に来ないで何してる」って怒られたんだったよね。
今でも顎の下に大きな傷がある。
小学校高学年のころ。
学校の歯科検診で歯並びが酷すぎることと不正咬合を医師に指摘され「お母さんに何も言われないの?ちゃんと言って治してもらいなさい」って毎年のように言われてたのだが、前述のようなことが重なってたから怖くて言えなかった。
母が「ぐりえちゃんの歯はそのままでいいわよね?八重歯もかわいいでしょ?」と事あるごとに決めつけてきてたから、それ以上なにも言えなかった。
八重歯どころか二重歯列ですきっ歯で正中線がずれてたけど、歯のことを少しでも母に言うと母が不機嫌になったから。
友だちからは「ガチャガチャ」とか「その口は交通事故にでも合ったの?」と言われてからかわれた。
結婚した後に自分で稼いだお金で歯列矯正はしたが、顎が横にずれてしまったので今でも額関節症と頭痛に悩まされている。
中学2年生のとき。
同居していた父方の祖父が亡くなって、仲の悪い父の妹に「四十九日まではずっとお線香の番をするのよ」と言われたらしい母は、夏休みの間一日も休まず私にお線香の番をさせ、その間ずっとずっと父と叔母の悪口を私にぶつけてきた。
父は会社だし姉は部活と塾と遊びで不在だし、私だけ1日も外出しないで母とマンツーマンで愚痴を聞き続けていたら、私の口の横と頭の後ろに白ナマズ(尋常性白斑)ができてしまった。
母からは「叔母のせいで外に全く日に当たらなかったからそうなっちゃったのよ」と言い聞かされてさらに叔母の悪口が増えたたけど、大人になって調べてみたら原因はストレスだそうだから、一人で黙って母の罵詈雑言を聞き続けたせいかもしれない。
他にもインフルエンザらしき酷い風邪とか高熱を出すこともしばしばあったけど、一度しか病院に連れてってもらったことなかったな。
毎回死ぬんじゃないかと思いながら、黙って耐えてた。
結婚してから巨大な子宮筋腫がみつかり、手術をすることになったとき。
母から「私だって子宮筋腫は絶対あったし私の方がもっと酷かったけど手術しないで我慢したわよ(←母がこの件で病院に行ったことは一度もない)。あなたはしなくてもいい手術をするだけなんだからね。失敗なんてしないから大丈夫よ。」と励まさ(?)れた。
手術後は「実家で療養しなさい」と言われたのでお言葉に甘えて実家に2週間ほどいたが、結局のところ母は私を久しぶりに感情のサンドバッグにしたかっただけで、毎日のように目の前で父を怒鳴り、毎晩のように私が寝ている布団の横に来て父の悪口を言い続けていた。
そしたら40℃ほどの熱が出てしまい、3日目ぐらいにさすがに死にそうになって「ちょっとおかしいから手術をした病院に連れてってくれないか」と母に懇願したらなぜか発狂されて、「あなたは嫁に行ったんだから保護者は旦那さんでしょ!そんなに病院に行きたいなら旦那さんに連れてってもらったらどうなの!」と怒鳴られた。
なので夫に電話をしたら夫が会社を休んで実家に来てくれて、ホッとして夫にしがみついて「たすけて」と号泣してたら「まるで私が何もしなかったみたいじゃない!だったら早く帰んなさいよ!」「仲がおよろしいことで!」と母は鬼の形相だった。
こういうの全部「うちは貧乏だから病気のことは言えない」って我慢してたんだけど。
本当にそうだったのかもしれないけど、外面的には裕福な家庭を演じさせられ続けてたからそのギャップが凄かった。
今考えれば考えるほど、貧乏だったからじゃない。
やっぱり、私の身体や心の心配をしてくれる人が誰もいなかっただけなんだ。
アラフォーになって、うつ病で精神病院のストレスケア病棟に入院したとき。
3か月入院してたけど、両親も姉も1回も面会にきてくれたことはなかった。
それまで母は毎日のように電話してきて父の悪口をぶつけてきてたのに、月に2回は近くまで会いに来て父の悪口をぶつけてきてたのに、急にパッタリとなんの連絡もなくなった。
私が精神病院に入院したら急にサンドバックにもならない”いらない子”であり”用無し”になったんだなって、悲しくて悲しくてずっと泣いてた。
退院したらまた電話とお出かけは戻ったけどね。
とにかく、私が少しでも具合悪い様子を見せると母がものすごく機嫌が悪くなるのが怖かった。
私が本当に具合が悪くなると、見て見ぬフリをされて無視された。
具合が悪くて可哀そうなのは、家の中では母だけじゃなくちゃいけなかった。
私はいつもその愚痴の聞き役で、私の気持ちなんぞを他人に打ち明けてはいけなかった。
そして恐ろしいことに、考えても考えても父の思い出はどこにも登場しない。
姉は少し登場するけど、大事な時にはどっか行っちゃってた記憶しかない。
いま父に聞いても「そんな事あったの?全然知らなかった」と目を丸くされる。
姉に少し言うと「ぐりえちゃんかわいそうだったよねー」とだけ言われる。
本当に訳がわからない。
メンタルクリニックで「幼少期の記憶が…」とか「トラウマが…」と言うと、先生に「でもお母さま亡くなってもう5年でしょう?そういうの、あんまり思い出さない方がいいですよ」と言われる。
だからいつまでも忘れられない私がおかしいのかもしれない。
だけどそういう家庭で作られた今の私の”自分を大切にできない”気持ちは、どうにも変える事ができないんだよ。
「あの頃はおかしかったんだ」って気づく事が大事だって複雑性トラウマの専門家が言ってる。
気づいて一線を引いて、今は安心できる場所にいるって感じることが大事だと。
あの頃の私の家族はおかしかったんだ。
私は酷い目にあったんだ。
もう大丈夫。
もう辛いって言っても苦しいって言っても大丈夫。
嫌だって言っても大丈夫。
怒っても大丈夫。
私は病院に行って健康になる権利がある。
私は楽しい生活を送ってもいい。
私は幸せになってもいい。
わかってるんだけどむずかしい。

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