生まれた土地を離れて広島で3年間過ごした話②

思い出

 広島に引っ越してすぐは、慣れない土地に私もオドオドしていたかもしれない。

 区役所へ初めての道を運転していた時なぞ、渋滞で本通りそばの横断歩道をふさいでしまった瞬間「じゃまじゃ!どけーや!」と怒号が飛んできたりした。なんて怖いところに来てしまったんだと思ったが、それ以外は住めば都。広島の人はみんなとっても優しかった。

愛犬チワワのこころ

 特に愛犬チワワのこころを連れて歩いていると、老若男女問わず色々な人が「こまい~」と寄ってきてくれて自然と話がはずんだ。次第に顔見知りもできて、お散歩中に遠くから「こころちゃーん!」と声をかけてくれる人もいた。最初はどこにも居場所のなかった私に穏やかな安らぎの場所をくれたのは、笑顔の可愛いこころだった。

 ところが夫はとにかく家にいなかった。平日の夜は毎晩のように飲み会で、帰宅すると布団に直行。週末はゴルフ。夫婦に会話らしい会話はなかった。夫は毎日毎日おいしい広島の料理を堪能していたらしいが、私はお好み焼きも牡蠣も食べていなかった。いくら人づきあいが仕事だとはいえ、何のために私とこころがはるばる広島まで来たのかさっぱりわからなかった。次第に私の心は荒み、自己肯定感はどん底に。何のために生きているの?私なんて存在しなくても誰も困らないでしょ?自問自答を繰り返すようになってしまった。

 秋の終わりのある朝、事件は起きた。なんとうちのマンションの、それも我が家の玄関の前の通路から40代ぐらいの女性が飛び降りて亡くなったのだ。消防に通報したり警察から事情聴取を受けたり、人生でも滅多にない衝撃的な出来事を、お隣さんと一緒に連帯感みたいなもので乗り切った。ちなみにその事件は新聞にもテレビにも大島てるにも出てなくて、人の一生の終わりはなんとあっけなく無意味なものだろうと思った。通路に置いてあった脚立の形、手すりに置いてあった白いカバーのスマホ、偶然かかってきた着信音がミスチルだったことだけなぜか鮮明に覚えている。

 それから私はずっと考え込んでしまった。生きることについて。死ぬことについて。考えすぎて眠れなくなり、毎日毎日泣いてばかりいて随分とこころを困らせた。そして引っ越し前にたくさんもらっていた抗うつ薬が底をついた頃、私は広島で初めて精神科の受診を決意した。

(つづく)

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