最後にブログを更新したのはいつだったか。あれからずっとベッドで寝ていた。唯一自分で好きになった横浜DeNAベイスターズが日本一になったというのに、それさえもどうでもよくなるほど寝ていた。寝ていたといっても頭は起きていて交感神経は高ぶったままで、ぐるぐると家族たちのことや自分の存在意義を考えていた。食欲は全くわかなかったし、歯磨きも入浴もせず、這いつくばって愛犬の食事と投薬だけをこなす日々。夫は最初に「どうしたの?また調子悪くなっちゃったの?」と言うと(私が調子が悪くなるといつもそうだが)寝室のドアをバタンと閉めて寝る時以外は入って来なくなったし、視界からシャットダウンすることで私の存在を頭から消すことに務めていたようだ。
実家の父と姉とは毎日LINEをしていたが、私の連絡が急に途絶えても私を心配するメッセージも電話もなかった。母は父と姉について「O型人間は自分勝手すぎる!」とよく怒っていたが、血液型は関係ない。父も姉も(ついでに夫も)O型以前に非定型発達なのだ。とはいえ”非定型”は少数派につけられた名称。我が家族においては今や定型発達である私のみが少数派なのだから、私がいわば”非定型”。私がみんなに合わせなければならない。
それは頭の中ではわかっている。わかっているけれど、私の事など気に留める人などいないという事を改めて痛感して辛さが増した数日であった。幸いTwitterの心優しき友人たちはだいぶ心配してくれたのでありがたかったが、リアルで私の事を知っている人達からのこの扱いは、もはや日ごろの行いのせいとしか言いようがない。うつ病になって家族だけでなく友達からの誘いも断り続けているうちに誰からも連絡が来なくなってしまったのだから、自分で蒔いた種だ。そして話す人がいない私は、また頭の中でぐるぐるぐるぐる自問自答を繰り返す。あの人はああだから仕方ない、私はこうだからいけない、そんな事をずっと自分に言い聞かせていた。
ところが、だ。少し起きられるようになった今日、ひょんな事から昔読んでいたBL小説「美しい彼」の最新刊1が発売になったことを知り、さっそく久しぶりに電子版を購入して読んでいた時の事。元気だった頃に夢中になって読んでいた(そして実写化を観ていた)キャラクター達が、今なお成長しながら必死に変わろうとし変わらないでいようとする様に、ひどく心を揺さぶられた。BL小説とはいえ、凪良ゆうさんの言葉の選び方は共感できるところもハッとさせられるところも多く、ついその世界に没頭してしまうのが不思議なのだ。私には友達はいないけれど、小説を読めば魅力的な人たちがそこにはいる。大好きな登場人物たちと感情を共有できる。その気づきはとても大きかった。
そんな事を思いながら読み進めていた時、主人公が自問自答を繰り返していたときのある言葉から目が離せなくなった。
──だったら自己完結するな。
言葉が矢のようにグサッと胸に刺さった。なおも言葉は続く。
信じるべき自分をも常に疑い、見つめ続けなくてはいけない。
今、自分の目に見えている景色は一体なんなのか。単純に肯定せず、疑って疑って、そうしてやっと見えてくるものだけを写し撮らなければいけない。
自分、という揺れ動く容れ物の中で──。
ぐぬぬ。参ったなあ。私は五十路にもなってこんな事もわかってなかったとは。今日のこのページの前半は全て自己完結。なんならこのブログの全てが自己完結だったじゃないの。どれだけ頭が凝り固まっていたのかと、恥ずかしくて穴があったら入りたくなった。自分を疑え。疑って疑って疑え。凪良先生、気づかせて下さってありがとう。
そういう訳で、今日の気づき。
- 読書は孤独を救ってくれる
- 信じるべき自分をも常に疑うこと
- 「美しい彼」の実写化続編きたなこれ
テレビでろくでもないワイドショーを見る暇があったら、小説を読もう。そうしよう。
- 凪良ゆう「儘ならない彼 美しい彼4」, キャラ文庫,
https://amzn.to/3Cw8ieM ↩︎
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