母の4回目の命日に思う

アダルトチルドレン

 早いもので昨日は母の4回目の命日だった。昨年は三回忌法要を行ったが今年は法事がないので誰も集まらず、私が愛犬を連れて実家へ行き父を連れてお墓参りだけした。姉は推し活があるため帰国せず。まあいいけど。

 驚いたことに今は、私の中のインナーペアレントがほぼ消えている気がする。母が生きていた頃は、実在する母とは別のもっと怖い母が私の頭の中に仁王立ちしていた。四六時中監視されている気がして、ずっとビクビクしていた私。それこそが自分が作り出したインナーペアレントなのだという事に気づいたのは、広島でカウンセリングを受けるようになってからだった。あの時カウンセリングで「母は私とは別人格の他人である」という簡単な事に気づけなかったら、人格の一部である母を突然失った私は今頃どうなっていたかわからない。

 先日、母のブランド物のバッグをいくつか貰ってきた。姉などは未だに母のものを見ると泣いてしまうとのことで、「きっと母も喜ぶから全部好きに使っていいよ。私は使えない。」と言う。狙っていたバッグをゲットしてホクホクしている私は、薄情な娘なのだろうか。

 私は生きる目的もないし、これと言ってやりたいこともない。残したい思い出とか気持ちとか品物とか、そんなものは何もない。母とのしがらみも切れた今、余生を適当に生きて早くあの世へ旅立つことだけを考えている。だからこそ、今やりたいことを今やる。それだけである。こんなドライな感情の持ち主になってしまったのが夫のせいだとしたら、感謝していいのやら恨んでいいのやら。

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