両親は所詮他人の夫婦なのです

先日、父が亡き母の事を「扱いやすい人だった」と言っていたので私は絶句してしまった。

私の母がいわゆるモラハラ妻だった事はこれまでも書いてきた通り。今でこそ「モラハラ」についての知識がある私ではあるが、子供のころは急に母が怒り出す理由がさっぱりわからず常にビクビクしていた。

モラハラは「蓄積期」→「緊張期」→「爆発期」→「ハネムーン期」という魔のループを繰り返すと言われている。母はこの「蓄積期」と「緊張期」が極端に短く、また本当にわかりづらかったと思う。私は母の微妙な目つきの変化でそれを感じ取って慌てて母の機嫌を取っていたものだが、家族の中にそれに気づく人はいなかったので孤軍奮闘していた。もちろん私の努力むなしく母の「爆発期」はすぐにやってきて、数日~長いと数週間は続く。父に対してヒステリックに声をあらげ罵声を浴びせ、時には物を投げたり掴みかかったり、父に無理難題を押し付けてやらせている間に家の鍵をかけて締め出したり、私に父や父の家族の人格否定を延々と話して聞かせてきた。「ハネムーン期」は昔は数週間はあったと思うが、晩年は1日と続かなかった気がする。

父にとってはそれがなんと「扱いやすい人」だったというのだ。

父は、診断は受けていないがおそらくアスペルガー症候群である。母がどんなに感情的な言葉で人格否定を繰り返しても「そんなことはない」とだけ答えてあとは黙って聞いているだけだった。母が繰り返す昔話は盛りすぎと妄想の話がほとんどだったので、記憶力のよい父にとっては別世界の物語としか思えなかったのだろう。無理難題を押し付けられても「わかった」と答えて言われた事だけ可能な限り淡々とこなしていた。そのせいであちこち血を流して傷を作っても「こんなのたいしたことない」と私にウインクまでしていた。

でも私は違う。私は母が「キチガイ!」「早く死んで!」などと絶叫しているのを正座して目を閉じてじっと聞いていた。「いつかあなたのパパを殺すわよ!」と言われても悲しい顔をして傍に居続ける事しかできなかった。全然扱いやすくなかった。本当に苦しかった。姉は「パパが謝らないからママが怒る!嘘でもいいから謝ってよ!」と言って父をさらになじる。けれども父は、自分が悪いことをしていないと自信があるので決して謝らない。毎日が修羅場だった。私は母が「爆発期」になると何も言えずに時がたつのを待つようにしていたが、そのせいで本当にしゃべれなくなってしまったこともあった。

広島で受けたカウンセラーの先生に「それでも両親が離婚をしないで50年以上一緒にいるということは夫婦のバランスは取れているのだから、他人の夫婦だと思って放っておいて良いんですよ」と教えてもらうまで40年以上かかった。いつか本当に母が父の事を殺すと信じていたから、殺人事件もなく母が天寿を全うしたことは正直ホッとしたとしか言いようがないとまで思ってしまう。

父にとってはそれが「扱いやすい人」だったというのだ。いなくなって寂しくて仕方ないとまでいう。私の記憶の中にある両親像と、父の記憶の中にある夫婦像は全くの別物だったのかと愕然とした。先生がおっしゃるように他人の夫婦だったのだ。あんなに悩み苦しみ我慢していた私は、表面しか見ていなかったのかもしれない。

ただもう今さら恨むわけではないが、だったら子供を巻き込まないでほしかった。「子供が見ているからやめよう」などと言われたことはなく、むしろ寝ていても夜中「ちょっと!聞いて!」と母に叩き起こされた日々。あれは何だったのか。今でも思い出すだけで全身の血管がきゅっと縮む。

もし今、両親の不仲で心の底から悩んでいる子供がいるとしたら、これだけは伝えたい。「両親はあなたとは別人格の他人。あなたが両親の機嫌を取る必要はない。放っておきなさい。逃げなさい。」

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