生まれた土地を離れて広島で3年間過ごした話⑤

エッセイ

 今日は広島の思い出話の最終回なので、少し楽しい話をしようと思う。

 私が住んでいたのは、広島市の原爆ドームにほど近い「十日市町」というところだった。広島県は広いので地域によっていろいろだとは思うが、広島市に住んでみて初めて知ったことや気づいたことを箇条書きにしてみた。

1.広島市民全員がカープファンとは限らんよ

 広島に行く前は、広島市民、いや広島県民全員が全員、カープファンだと思っていた。

広島にそまる私

 確かにカープの主催試合は必ずといっていいほど地上波で中継があるし、ワイドショーもニュースもカープ情報満載で、テレビ局のカープ愛はすごかった。でも親しくなった人によくよく話を聞いてみると、特に若い人はカープファンではない人もそれなりにいるのに驚いた。

 私が知り合った広島生まれ広島育ちの方々の声。美容師さん①はカープに興味がないサンフレッチェファン。美容師さん②は中日ファン。整体師さん①は巨人ファン。整体師さん②はベイスターズファン。整体師さん③はカープファン。整体師さん④は野球に興味なし。

 サンプル数少なすぎだけど思ってたのと違ってたのは確かで、みんなひっそり推しチームを応援していた。まあ全体的には圧倒的にカープファンが多いいことに変わりはないけど。

2.お好み焼きは広島のソウルフードじゃけ

 広島のソウルフードといえばお好み焼きな訳だけど、十日市町の周りだけなのか知らんがお好み焼き屋さんがめちゃめちゃ多かった。体感ではコンビニより全然多いかも。大阪よりずっと多いいんじゃない?知らんけど。

 広島のお好み焼きはお店ごとに微妙に味が違ってて、基本、大将が両手にヘラを持って目の前でチャチャっと作ってくれる。というか工程がたくさんあるので自分じゃうまく焼けないと思う。上級者はカウンターで鉄板から直接ヘラで食べるのだが、猫舌の私はなかなかうまく食べられなくて、大将や知らないおっちゃんに教えてもらったものだ。

鉄板から直接ヘラで食べる

 ピザ切りしたらいけんよ?縦横に切って食べんさい!(だんだん変な広島弁になってきた)

 ちなみに広島ではコテのことをヘラという。というか、ヘラのことをコテというのは関西と首都圏ぐらいなん?

関西=コテ、広島=ヘラ... 日本全国「お好み焼きをひっくり返す道具」呼び方マップがこちら|Jタウンネット
お好み焼きをひっくり返すときに使う、平べったい金属の調理器具。みなさんはあの道具のことを何と呼んでいるだろうか。筆者はヘラと呼ぶが、関東出身の編集部員はコテと呼...
Googleストリートビューより

 あと広島に行く前は、広島県外の人から「広島風お好み焼きって言うとコロサレルから気をつけて」ときつく言われていたが、お好み焼き屋さんの前にヒラヒラとはためいているオタフクソースの旗に普通に「広島お好み焼」と書いてあった。さすがに「広島焼き」というと怒るらしい。知らんけど。

3.右折が怖いんよ

Googleストリートビューより

 私は路面電車の街に初めて住んだので、最初は路面電車の横を運転するだけでぶち怖かった。鎌倉の江ノ電が一瞬だけ路面電車になってるとこがあるけど、もっと広い道で結構なスピードで電車も車もビタビタに走りよるけスリル満点!

 そして車を運転してると右折が怖い。右折待ちでうっかり線路内に入ろうものなら、ばりばり警笛鳴らされる。てか右折しようとしとるとこに右後ろから直進電車が来るってどゆこと!?って慣れるのに時間がかかった。

 しかし路面電車かわいかったな。断じて撮り鉄じゃないけども、1980年代から走ってる単車700形(左上)、1990年代からの連接車3900形(右上)、21世紀からは5100形「グリーンムーバーマックス」(左中)、1000形「グリーンムーバーLEX」(右中)、最新の5200形「グリーンムーバーエイペックス」(右下)。なんかもうネーミングが中二病っちゅうか広島っぽいじゃろ?右下はなぜか走ってた京急電車・・・と思ったら、京急PRのためのラッピング電車だったらしい。断じて撮り鉄じゃないけども。

広島電鉄の電車たち

4.季節の行事がおしゃれよね

 広島は日本らしい行事がまだまだたくさん残っていて、季節ごとにそれぞれ違った趣があった。

広島きのぴーワールドヽ(´▽`)/(うまい・おもろい・広島弁!)

 まず引っ越してすぐに迎えた秋祭りの季節。家々が縄でつながれて白い半紙が垂れ下がり(御幣ごへいというらしい)「奉寄進」と書かれたのぼり旗が町内のあちこちに立てられてビックリした覚えが!いまだに読み方がよくわからないんだけど、「ほうきしん」でええの?

空鞘神社の秋祭り

 家で体調が悪くてゴロゴロしてると、ピーヒャラピーヒャラ笛の練習をしている音が聞こえたりして、ジーンと感動したっけなぁ。

これは何かのイベントで見た神楽

 あと広島は神楽かぐらが有名で、たぶん年中あちこちでやってるけども、秋祭りには奉納神楽があって神社で見れたりした。たしか地域ごとに「神楽団」が結成されてて、若者も参加しながら伝統を継承してるとかで、それがかっこよかった。

 私が見た神楽は、戦いのシーンで3人の鬼たちがそれぞれスピンしながらぐるぐるとローテーションするあたかも人間オルゴールみたいな演目で、「うっわ、めっちゃ回りよる!」って思わず手を叩いたのを覚えてる。

広島の珍しいしめ縄

 お正月のしめ飾りもまた独特で、ぐるぐるの縄の真ん中にだいだいが鎮座。このぐるぐるは三重と決まっているそうで、子孫繁栄・無病息災てきな意味があるらしい。

十日市町のとんど焼き

 1月の小正月には「とんど祭り」があった。護国神社のとんど祭りが有名なんだと思うけど、各自治会ごとに公園でとんど焼きをやってたな。よそ者のわしらにも「きんさい」って言ってくれて、豚汁とかお酒とか振舞われてすごく嬉しかった。「どんど」でも「どんと」でもなくて「とんど」よ。今知ったわ。

とうかさんに行ってきたよ

 春のフラワーフェスティバルは近代的だから飛ばすけど、6月になると夏祭りが始まる。そのトップバッターが圓隆寺の「とうかさん」で、テレビ情報によれば若い子たちはとうかさんに着ていくために浴衣を選ぶらしいんよ。若いってええの。

 で、うちわを買って帯の背中にさして歩くのがかわいい。ちなみに”ミスとうかさん”的な人たちは「うちわ姫」が正式名称じゃ。

派手派手な盆灯篭

 びっくりしたのがお盆。近くに「寺町」という町があって、その名の通りお寺がずらーっと並んでいるのだけど、そこのお墓たちがお盆になるとなぜかキラキラの派手派手になる。なんじゃ?と思って見てたのだが、お寺さんとか近くのお店とかスーパーでこの飾りがたくさん売ってて、お参りする家族たちが買って供えてるっぽい。「盆燈籠ぼんとうろう」という、関東民には謎な飾りよね。

 これが広島の1年でした。

4.話し言葉がちいとだけ違う

 有名な広島弁はさておき、なんとなく違和感があった広島の話し言葉について。いくつか気づいたことを挙げてみる。

~しちゃった

「~した」の敬語らしい。整体師さんに「それで病院に行っちゃった?」と聞かれたから「すいません、行っちゃいました。」と申し訳なさそうに答えてしまったが、ただ「病院に行かれたんですか?」と聞いてただけだったみたい。

むずかしくない

歯医者さんや美容院でよく「むずかしくないですか?」と聞かれて「難しくはないけども」って考え込んでしまった。「大丈夫ですか?」程度のことだったぽい。

クレジットで

すごく微妙なことだけど、クレジットカードで払おうとした時に「カードで」って言って聞き返されることが何度かあった。それから「クレジットで」って言うようにしたらすんなり通るから、それが普通なのかも。逆に横浜に帰ってきてから「クレジットで」と言ったら聞き返された。

鶏肉の角切り

広島だけじゃないかもだけど、むしろ横浜だけ言わないのかもしれないけど、鶏肉を唐揚げ用にカットしてあるお肉の事を「角切り」と書いて売っていた。しかも本当にスパッと切っただけの四角い形。横浜のお肉は一口サイズのやや楕円形なんだよなあ。地域性なのか謎である。

5.平和教育

 広島でテレビを見ていて初めて知る言葉がある。それは「平和教育」だ。

広島の象徴・原爆ドーム

 広島市は、言わずと知れた人類史上初めて原子爆弾が投下された都市。先人たちの復興努力はいかばかりだったのか、緑豊かな美しい街並みからは当時の惨状は想像もつかない。相生通りあいおいどおりを走っていると突然現れる小さな原爆ドームだけが周りの緑とは異質な暗さを放っていて、だがどことなく太田川の護岸と調和していて、なんとも不思議な光景だ。

広島市では、義務教育でまた各家庭で、被爆体験を継承していく学習である「平和教育」を推進しているらしい。テレビでも8月6日が近づくと、平和特集が多く流れるようになる。

広島市における平和教育について - これまでに寄せられた主なご意見とその回答|広島市公式ホームページ|国際平和文化都市
広島市における平和教育について

 「被爆二世」「被爆三世」という言葉も広島に来て初めて聞いた。被爆者の子供で原爆投下後に生まれた人を「被爆二世」、その子供を「被爆三世」と呼ぶそうだ。広島市には、被爆者と被爆二世三世がたくさんいて、その方たちの話を聞くとまだ戦後は終わっていないのだなと生まれて初めて感じた。

 原爆ドームの前を通る時に、慰霊碑の前でそっと一礼する市民の姿を何度見たことか。

 だから8月6日に広島県外からやって来て原爆ドームの前で「改憲阻止!」「打倒安倍政権!」などと拡声器で大騒ぎしている輩には本当に腹が立った。平和教育は日本全体でやるべき事なのではないかなと思ったり。

おわりに

 とまあ、長々と続けてきた「生まれた土地を離れて広島で3年間過ごした話」は、これで終わりである。この3年間は私にとって、親との距離感をとりなおす貴重な3年間だったし、夫婦2人だけの暮らしで夫婦としての在り方を見つめ直す3年間でもあったし、広島という素敵な街を満喫する3年間でもあった。

 生まれも育ちも横浜の私は、それまで横浜以外の街で住むことなんて考えたこともなかった。でも広島がすっかり気に入ってしまった私たち夫婦は、広島の新築マンションを終の棲家として購入することも視野に入れ、モデルルームまで見に行ってしまったほどだ。マンション価格は首都圏の半額ぐらいじゃしね。買わんかったけど。

 最後に、たぶん見てないと思うけど、広島でひとりぼっちだった私と仲良くしてくださった素敵な方々にお礼を言いたい。例の衝撃的事件から親しくなって季節のお野菜とか色々下さったお隣のOさん、愛犬こころとカフェに立ち寄った事が縁で外で会うと遠くから「こころちゃーん」といつも呼んでくださったマスターのMさん、愛犬こころの事を本当に本当に可愛がってくださってアイドルと呼んでくださって「インスタ持ってませんか?」と言って繋がってくださった優しいMさん、広島にいながら熱狂的なベイスターズファンでマツダスタジアムに何度も呼んでくれて今でも仲良くさせてもらってるKちゃん、そしていっぱいほめてくださって一緒に笑って泣いてくださった心理療法士のT先生、本当に本当にありがとうー!!

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