病院に行くぐらいしか楽しみがない

 先日テレビをぼんやり見ていたら、イマドキの高齢者は何をして楽しんでいるのか街頭インタビューをしていた。病気を患っていて年金もなく働きながらその日暮らしをしている方もいらっしゃったが、あとは活き活きと生活を楽しんでる方ばかり。旅行、体力作り、お稽古・・・それぞれの趣味に励んだり、習い事にかこつけて同年代の友人と集まっておしゃべりを楽しんだり。ローンを払い終わって年金の他に切り崩しながら使えるまとまった貯金がある人が多かったので、「物価高で困ってる」と言いながらもそんなの口ばっかりじゃないのと思ってしまった。

 でも私は不思議とそれを羨ましいとは思わなくて、「それって楽しいのかな」「頑張ってお金貯めて生き抜いてそんなもんなのか」とかネガティブ思考。しかも自分にはそんな趣味を楽しめる余裕も貯金もない。逆に将来に絶望を感じてしまったのは、たぶん典型的なうつ症状なのでしょうね。

 というかそもそも私には趣味がない。自分が今何をしたいのかもわからないのだから、ましてや”趣味”という発想がない。私にとって今の生活のわずかな楽しみと言えば、愛犬を撫でること以外なら病院に行くぐらいなものだ。病院に行くのが楽しみと言うのは語弊があるけど、病院に行くために着替えてお化粧して髪型を整えてる時がいちばん前向きな気持ちだったりする。スケジュールは病院(とせいぜい美容院)の予定しかないし。

 で、ふと気づいたのだが、それも私の幼少期が関係したりしてて。

 というのも私は社会人になるまで、具合が悪くてもほとんど病院に連れて行ってもらえなかった子だった。実家が丘の上の住宅街にあったので、周りにクリニックが全くなかったせいもある。親が新聞や週刊誌の”陰謀論”を読みすぎて「医者と製薬会社は金儲けのために病名を作ってる」という洗脳を受けていたのもあった。
 今思えば、歯並びが悪すぎて医師に指摘され友達にからかわれ嚙み合わせがおかしくなってきたときも、転んで顎がパックリ割れてダラダラと半日以上血を流していたときも、たぶんインフルエンザで39℃の熱が何日も続いて息苦しくて死ぬかと思ったときも、何もしてもらえなかったし言えば親が明らかに不機嫌になって大喧嘩が始まるからずっと黙って我慢してきた。
 ああ、今ググったら『医療ネグレクト』という言葉があるのか。そんな感じ。

 でも社会人になって自分でお金を稼ぐようになって、みんなが会社の診療所に気軽に行っていたので私も行ってみたら・・・なんという事でしょう。医師が優しすぎる~♡ 私の訴えを嫌な顔せず聞いてくれるし、医師によっては「それは辛かったでしょう」とか言ってくれるし、処方される薬は市販の薬を買うより安いしよく効くし、いいことづくめだったから味を占めてしまったようだ。
 結婚したらそれはもう自由になって、あちこちの病院に行きまくった。インフルエンザになればリレンザやタミフルを飲んだし、胃が痛ければ胃薬飲んで胃カメラ飲んで、子宮筋腫がわかったら摘出手術をして、歯並びもしっかり矯正したし、最終的には会社に通えなくなったので精神科に行くようになった。
 そんな私に親はその都度「医者なんて行くから病名がつくんだ。飲まなくていい薬を飲まされて余計体調悪くなってる。しなくていい手術をさせられてる」と呆れたように嘲笑してきたけど、そんなのどうっでもいい。ちゃんと私の辛い気持ちを聞いてくれるのは医者だけだったから。

 なので私にとって病院に行くのは、身体的満足よりも精神的満足のほうが大きいのかもしれない。そしてそれはいまだに続いている。精神科(うつ病)、リウマチ科(関節リウマチ)、皮膚科(蕁麻疹・脂漏性湿疹・苔癬)、甲状腺科(甲状腺腺腫・甲状腺機能低下)に定期通院していて、必要に応じて内科、胃腸科、耳鼻咽喉科、歯科に通っているし、今度は内分泌科が加わりそう。これって『医療依存症』というメンタル疾患じゃないですかね?大丈夫そ?

 どうして私ばっかり変な病気になるんだろうと思う反面、親の呪言「医者にいくから病名がつくんだ」が大きくのしかかってきて、私が変な病気になる理由の半分はすぐ病院に行くせいだとも思っている。国民のみなさま、夫の会社のみなさま、健康保険を使いまくってごめんなさい。たぶん寿命は人より短いから、もう少しだけ許してください。

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