7月に久しぶりに再会してLINEでつながった高校の友人から、我が母校がとある番組で特集されているよと連絡をもらった。卒業してから40年近くたつしさほど母校に思い入れはなかったので、あまり期待せずにネット配信を見た。その結果・・・なぜか泣いてしまった。
学校生活の紹介では昔では考えられないイマドキの学校だなと思う事もあったが、昔から変わっていなくて懐かしくなる事もたくさんあった。
私が最も心動かされたのは、夏のキャンプの密着だった。我が母校には夏になると長野で1週間ほどのキャンプをする伝統があるのだが、今でもスマホを預けて当時と全く同じようなキャンプをしていたことに驚いた。とにかく歌い、とにかく泳ぎ、最後はキャンプファイヤーを囲んで語り合い泣いてしまう。そんな映像を見た時に、忘れていた何かに心が揺さぶられとめどない涙がこぼれてきたのだ。
もう何十年も経つのにな。この番組を見なければ二度と思い出す事のない記憶だったと思う。そんな深い深い記憶でも、一瞬にして当時の音・香り・感情すべてを思い出せるのが本当に不思議だった。
私はうつ病や関節リウマチになってからというもの、色々なことを諦めてきた。夫が自分だけの世界に生きているので「カサンドラ症候群」にならないように、人と情緒を通わせることも人に期待することも諦めてきた。すべてを諦めることで、自分の精神と健康を保つように頑張って努力してきた。
そんな時に見た、生身の人間との交流だけで感動し涙を流す動画。自分が実際に経験したことのある感動の追体験は、あえて封印してきた『人としての情緒』を思い出させるのには十分すぎる内容だった。
中高生活では、協力しあい、励まし合い、他人を思いやり、人のために生きる、そんな精神を徹底的に叩き込まれたはずだったのに、今の私はどうだろう。当時の理想とは程遠い無機質な人間になってしまった。あの頃の私が今の私を見たら、さぞかしがっかりするだろうね。
私が今日流した涙は、懐かしさもあったのかもしれないが、落胆の涙だったような気がする。
かと言ってもうどうすることもできない。久しぶりに泣いて『涙活』ができただけでも良かったと思おう。ここに思いのたけをぶちまけたらまた情緒を封印し、このまま淡々と生きて静かにこの世を去っていきたいことに変わりはない。それが私の知恵である。
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