欲しいのはアドバイスではなく労りの言葉なのです

 私の身内である夫と父と姉の三人は、前にも書いたがみんな発達障害のグレーゾーンである。夫と父は他人の気持ちに興味がなく自己中心性の高いASD気味で、姉は一方的に自分の話をしゃべり続けて時々ウワーってなるADHD気味。ただ三人ともそのことについては気づいても悩んでもいないようで、「もしかしたら私がおかしいのかも」と頭を抱えているのは私一人である。
 でもまあ、三人ともそういう特性の人だということを理解して私が期待さえしなければ(たまに感情が揺れることはあっても)特に害はない。三人とも全然悪い人ではないし、むしろ知識も教養もあっていい人達だ。

 だがしかし。最近の私は自己免疫性の蕁麻疹による全身の強烈な痒みのせいで、正常な精神状態が保てない。控えめに言ってあとちょっとで気が狂いそうである。そんな状態なので私はついうっかり弱音を吐いて、身内に「痒くて痒くて何日もろくに眠れてないの」とこぼしてしまった。期待しちゃいけないのに、「つらいね」「我慢しててえらいね」という共感や労りの言葉を期待してしまったのだ。
 すると返ってきたのは三者三様のコメント:

原因わからないの?他の病院に行ったら?

痒いとこと別の場所を掻くと痒みが治まったりするんだよね。

私も蕁麻疹が出たとき、薬つけても痒いの治まらなかった。

 わかりやすい。ASDさんはアドバイスを求められたと思って自分の考えを言おうとするし、ADHDさんは自分の体験談を話し出してしまう。実はこれ、1か月前に私が最初に「痒い痒い」言ってた時にも、みんなに同じことを言われたのだ。なのでもう自動思考なのでしょう。
 (それ前にも聞いたわ!)と心の中でツッコミながら「うん・・・」と黙るワタクシ。でも妙に冷静に分析をしたせいか気が狂いそうになる気持ちはどこかへ飛んでいき、おかげさまで「( ˙-˙ )スン」て顔になれた。
 念のためフォローしておくと、少し会話したあと父と姉は「早く良くなりますように」と言ってくれたし、夫は「痒いねえ痒いねえ」とミラーリングしてくれた。みんななりに私に気を使ってくれている。ありがとう。

 でもなんというか、とっさに出る言葉に人柄(特性?)があらわれるものだよね。私も気をつけよう。悲しんでる人や苦しんでる人を見たら、まずその人の気持ちに寄り添った言葉をかけられる人になろう。人の振り見て我が振り直せだ。

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