お見舞いで思い出すこと

うつ病

 昨日お見舞いの記事を書きながら思い出していたのだが、10年以上前の1回目の子宮筋腫の手術の時は、母が毎日お見舞いにくれた。来なくていいと言ったのに本当に毎日来てくれた。一方、5年前に精神病院に100日も入院した時には1回も来てくれなかった。入院76日目に寂しさのあまり号泣したことは今でもよく覚えているが、これで子離れしてくれたんだなあと思った。けれども今回、母親は再びお見舞いに来ると言って張り切っている。来なくていいとは何度も言ったがきっと来るのだと思う。5年前の入院は違うのだ。あの年代の人はみなそうなのかもしれないが、母は精神病にかなり偏見がある。精神病患者を差別するような発言は昔から多かったし、あの時は精神病院に入院している娘などいなかったことにしたかったのだと思う。
 私は中学生の頃、母の言動が時々あまりにもおかしくなるので、駅前にできた精神病院に母を連れて行こうと真剣に悩んでいた時期があった。でもどうやって連れて行けばいいのかわからなかった。当時はネットなどなかったし、精神病院は近づいてはいけない場所だと思っていたので怖かった。何より母の精神病に対する偏見がすごかったので、そんな事を言い出したら激昂されると思ってできなかった。結局悩みぬいた私は、自分が消えればいいんだという結論になってハサミを手首に当てたっけ。それも誰にも気づかれることなく未遂に終わったが。
 今思えば、あのとき母を病院に連れて行かなくてよかった。本人の自覚ないパーソナリティ障害は病院に行ってどうなるものでもなかっただろうし、そのせいで母が苦しむのはかわいそうだった。おかしくない時の母はとても優しい。おかしい時だけ私や家族が少し我慢すれば丸くおさまることだった。そして私は中学生で死ななくてよかった。高校、大学、院、社会人とそれなりに楽しこともあったし、夫と出会って結婚もできたし、うつ病になってからだってそのおかげでネットに心の友達ができたり、フェレットやチワワを愛する喜びも知った。
 なんだか今日は気分がいいのか。綺麗にまとめてしまったが今は素直にそんな気持ち。

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