15年間ずっと変わらず眠りたくない私

エッセイ

 2007年から約3年に渡ってエッセイなどを書いていた私の古いブログ。自分でもびっくりするほど饒舌で今読み返しても生きるヒントになることがたくさん書いてあるので、最近また思い出してはたまに読んでいる。

 先日、ふとこんなページを見つけて笑ってしまった。冒頭の文章はこうだ。

「眠れないんじゃなくて、眠らないんです。眠りたくないんです。」
 こう心療内科で説明すると、先生に困った顔をされる。「きちんと薬を飲んで決まった時間に寝てくださいよ。」と、お決まりのようにいつも言われる。

眠りたくない | どんぐりの背比べ

 わかる。眠れないんじゃなくて眠りたくないのだ。わかる。いわゆる「あなわた」というヤツだ。あなたは私かと思った!いや、私なのだけど、15年も前に一言一句違わず同じことを考えているなんて。しかも精神科の先生に言われることまで全く同じ。人はそう簡単に変われないんだと苦笑せざるを得ない。いろいろな薬を飲んで、入院もして、認知療法とかして、環境も変わって、15年たって昔の記憶をすっかり無くしてしまっていても、根本的なところは無自覚に全く変わっていなかった。

 どうして眠りたくないのか自分でも嫌になる。社会の生活になんとか合わせようと朝必死に起きて、睡眠不足でふらっふらになりながら「今夜はゆっくり寝るぞ!」と思っていても、夜になるとなぜか全く眠りたくなくなるのだ。

 突然だが「集合的無意識」をご存じだろうか。分析心理学の創始者ユングが提唱した概念で、人はみな個人を超えて人類に共通する先天的な無意識領域を持っているというもの。それがあるから我々は、しばしば経験していないのにリアルな空想を思い浮かべることができたり、他人と同じような夢を見たりするのではないかとユングは考えた。現在の学説はこの概念に否定的なようではあるが、私はわりと真面目に信じている。

 というのもそれこそ15年ほど前にNHKかなんかでやっていたと思うのだが、この「集合的無意識」が人類全体で共有する(今で言うクラウドのような)イメージになっていて、睡眠中に人はそこにアクセスしているというCG映像が強烈に印象に残っているからだ。人はみな寝ている間に世界中の人々とつながって、無意識領域を毎日アップデートしているのだという。番組中に出てきたもう何年も眠れていないという女性が、不眠の辛さを「まるで宇宙に独りぼっちのようだ、誰とも繋がることができなくて孤独だ」と表現していて、そのことからも「集合的無意識」はあるのではないか・・・とかそんな話だった。

 では私の「眠りたくない」はどういうことなのか。

 なんとなくだが、私は逆に誰かと繋がることを本能的に拒否しているような気がする。夜中に私の頭に浮かぶぼんやりした思いを言葉に書き出すと、誰とも関わりたくない、一人になりたい、疲れた、放っておいてほしい、日中は他人に気を使ってばかりいる、夜ぐらい誰もいないところで自由になりたい、そんな感じ。たぶん私の事だから「集合的無意識」というクラウドにつながっている間でさえも、全世界の人々に気を使っているのではないかな。「すみません、お世話になります。あ、順番待ちされてます?ごめんなさい。お先にどうぞ。いえいえ、大丈夫です。お気になさらず。はい。ここで待ってますね。ありがとうございます。」って作り笑いを浮かべながら、必死こいて場の雰囲気を良くしようと頑張る自分が目に浮かぶ。それは疲れるわ。 

 とまあ単に「眠りたくない」を言うだけのために、よくもまあこんなに文字数を費やしたものだが、15年前から変わらず今夜もすぐには眠れそうにない。(寝なさい!)

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