たまたまGoogleのオススメに出てきたので、『婦人公論』の佐藤愛子さんのインタビュー記事を読んだ。
すごく驚いた。母が佐藤愛子さんのエッセイが好きで、よく図書館で本を借りて読んでいたことを思い出す。まだご健在だったのか。というかとても100歳には見えないほどお若い。しかも言葉の選び方がいちいち素敵。
私はこれほどまで細やかに気持ちをつづった高齢者の文章を、これまで読んだことがなかった。正直、人間100歳ともなると頭の中がボーっとしたままで、何も考えずにただ生きているような感じなのではないかと思っていた。でも佐藤愛子さんは全然違う。自らが年老いていく様を少し寂しげに、でもしっかりと受け止めながらわかりやすい言葉で表してくださっている。
ずっと、編集者や誰かが来る習慣があったでしょう。今はもう誰も来ない。そうすると私はもう世の中の流れから外れてしまった人間なのだと感じます。世間が動いて流れていくのを、遠くのほうでぼんやり見ている。そういう意識になるから、元気もなくなります。
自分が何かをやる、何かの行為をするということに対する自信がなくなっているのね。肉体的な自信のなさ。しょっちゅう誰かにもたれかかっているという感じですね。
そういえば先日メンタルクリニックに行った時、主治医にメンサ会員になったことを伝えたら「良かったじゃないですか!IQが高い人は痴ほう症になりにくいんですよ」と言われた。嘘か本当かわからないし良かったのかどうかもわからないが、私は勝手に自分がすぐボケるもんだと思っていたから驚いた。うつ病を長年患うことは脳が委縮している状態が長いということなので、痴ほう症になりやすいんだと思っていたのに。驚いたと同時にちょっと落胆してしまった。周りがみんなボケていく中、下手に一人だけ頭が冴えわたっているのも辛いんじゃないかなあと。
そんな事があってからの佐藤愛子さんのインタビュー。なんとなくだけど、自分が高齢者になった時の気分を予習できたような気がした。そして勇気もいただいた。確かに寂しさや孤独感はあるのだろうけれど、それを言葉という形で誰かに伝えることができるというのは素晴らしい。どうせなら私も100歳まで生きて、それまでずっとこのブログを続けるのも面白いのではないかな。そして人が年老いていく気持ちを綴っていくのも悪くないかも。
記事を最後まで読んでわかったのだが、少し残念なことにこの佐藤愛子さんのインタビューは昨年の6月のものだそうだ。お孫さんの杉山桃子さんの漫画によれば、現在101歳の佐藤さんは認知症が始まり、転倒して骨折し入院されているそうだ。
それでもそれなりにお元気とのこと。できるならば、人は認知症になるとどんな風に物事を考えるのか、また是非お聞きしたいものである。佐藤愛子さん、どうぞお大事に。
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