現代人が1日に触れる情報量は本当に平安時代の一生分なのか

エッセイ

 スマホがあると少しでも気になることはすぐググって調べてしまい、そこからまた気になることが生まれるのでまたググって調べ・・・そんな事をしているとあっというまに時間がたってしまうことがある。

 いつでもどこでも情報が手に入るのも考え物だ。「どうしてなのかしら~うふふ」と平安貴族のように笑って過ごせれば、どんなに幸せだろうかと思う。できることをしないまま放っておくのは気持ちが悪いので、気づいたらすぐ動いしまう悲しい性。だれか私の頭を止めてくれないだろうか。

 そういえばどこかで平安時代とは浴びる情報量が違うと聞いたことがある。さっそく「平安時代 情報量」でググってみたところ、Google検索の一番上に出てきたサイト1には

「現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の一生分であり江戸時代の1年分」だそう。

という言葉があった。

 なるほど、なかなかインパクトのある言葉である。だがすぐに信じてはいけない。そもそも

  • ~だそう
  • ~らしい
  • ~と言われている
  • ~と聞いたことがある
  • ある調査によると~
  • 一説によると~

には注意が必要だ。信頼できるソース(情報の発信元)とエビデンス(証拠)がない言葉を簡単に拡散してはいけないのだ。

 そこでそのページをくまなく読んでみたが、コンサルタントの”先生”とやらが”驚きの事実を発表”したとしか書かれていない。本当に事実ならソースを示してほしいのにソースはない。くわばらくわばら。

 仕方がないのでGoogle検索の結果をものすごい勢いでリサーチしてみたのだが、何百件見ても情報元を提示しているサイトはなかった。「一説によると~」「~らしい」のオンパレード。中には私と同じように疑問を持つ方もおられるようで、ソースがないとつぶやいている方もおられる。

 それならと、今度は『平安時代の情報量』について触れている一番古い情報を辿って探すことにした。必死にネットの海を深く潜ってみたのだが、私の力で探せる最も古いサイトは2012年の5月のあるOLさんのブログ2 だった。残念ながらそちらも伝聞口調で力及ばず。ただ彼女は、やはり根拠が気になるようで。

情報過多の時代と言われて久しいですが、一説によると現代人が1日に触れる情報量は、平安時代の一生分、江戸時代の1年分とも言われているそうです。

「情報過多」とだけ言われるより、実際の数字を聞くとビックリしますよね。

でも、この比較ってどうやって求めたんだろう?って気になりますよね。
なんか根拠があるんだろうけど、どうやって計算したのさ?と。

そして彼女がどうしたかというと、総務省(正確には総務省管轄の情報通信政策研究所)が毎年発表している日本人の「選択可能情報量・消費可能情報量」3という統計を引用して、現代人の情報量の増加率の高さを指摘していた。

資料の解説は省きますが、ざっと見ると15年前に比べて、情報量は約3000倍に膨れ上がります。
1995~1996年あたりまでは「選択可能情報量=消費可能情報量」(存在する情報はすべて処理できる)状態だったのが、
2006年頃には完全に「選択可能情報量>消費可能情報量」となります。

それが総務省の指標で計算すると、約15倍の差があるそうな。

なるほどなるほど。「情報過多」のエビデンスとしては納得のデータである。でもこれは『平安時代の情報量』のソースとは言えないなあ。残念。

 とはいえ、2012年にはもうこの”噂”は出回っていたことはわかった。こんな面白い話、私がブログをやっていたら絶対に記事にしてただろうから2010年以前にはなかったのではないだろうか。だからきっと2011~2012年あたりに誰かが言い出した話なのだと思う。知らんけど。

 ちなみにこの「平安時代の一生分であり江戸時代の1年分」が世に広く知られるようになったのは、日本マイクロソフトの澤円氏が2019年9月の講演で使った鉄板ネタだったからと思われる。

 冒頭、会場とのセルフィーからスタートした圓窓代表の澤氏のセッション。「ドヤ顔で語れるちょっとした小ネタ」として、現代日本人が1日に触れる情報量が「平安時代の一生分」であり「江戸時代の1年分」であることを紹介した。これは決して現代人の脳のサイズや働きがよくなったわけではない。あくまでハードウェアコンフィギュレーションは20万年前以来変わっておらず、「データとソフトウェアのアップデート」でここまできたというわけだ。


「BIT VALLEY 2019」BIT VALLEY 2019 実行委員会, 2019.09.144

『New York Times』の1週間分のデータ量。新聞1週間分ってこんなもんです。大した量じゃないんです。ここの中のテキストのデータ、あるいは画像のデータ、そういったものを全部データとして扱った場合、そのデータ量と“あるもの”が一緒なんですね。

これなにかというと、18世紀の人たちが一生のうちに出会う情報量と同じです。18世紀の人って、一生かかっても新聞1週間分ぐらいの情報しか触れないんですよね。

あるいは、現代の日本人が1日に触れる情報量は何と一緒かというと、これはグッとさかのぼって平安時代の日本人が一生で触れる情報量になります。けっこう少なめですよね。ちなみにこれ、江戸時代になると1年分になるんです。ちょっとおもしろいですよね。

じゃあ歳とともに人間は賢くなるのかというと、実は脳の細胞って20万年前から変わっていないそうです。これは科学者の人に教えてもらったので、おそらく間違いないと思うんですけれども。ですので、あんまり賢くなっているわけではないんですね。生物学的に言うと、能力が進歩しているわけではない。でも、“あるもの”がみなさんの手に入ったことによって情報量が増えています。


「オープンタレントサミット〜令和元年、これから求められる本当の働き方改革とは?〜」ランサーズ株式会社, 2019.09.255

 『プレゼンの神』澤円氏が、掴みトークとしてニヤニヤしながらネタ披露している姿が目に浮かぶ。だがもちろん彼もソースは提示していない。しかもソースがないのに伝聞口調ではなく断言しておられるのは注意すべきところ。澤円氏がご自分できちんと計算したのならごめんだけど、私が胡散臭いなあと思ってしまうのは髪型が怪しいとかそういうのは置いといても、話にエビデンスがないのに自信たっぷりだからだ。

 そもそもアメリカ式のプレゼンを私は好きではない。立ち歩いて大げさなトークと身振り手振り、”相手の心をつかむ”ためなら嘘でもハッタリでも使うヤツ。そういうプレゼンを聞いて「すごい!感動した!その通り!」と思う方は、詐欺師に引っ掛かりやすいので本当に気を付けていただきたい。プレゼンテーションではきちんとデータを淡々と示す日本式が大好き。数字オタクなので。解説はいらないよ自分で判断するから。

 そういう訳なので、平安時代の一生分(仮)の情報を浴びてしまったワタクシ、もう疲労困憊なので今日はここまで。


  1. 現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の一生分! 振り回されない情報整理術, PENCIL by Schoo, 2022.03.18, https://pencil.schoo.jp/posts/aeqVyYrG/(閲覧日2024.10.27) ↩︎
  2. 情報過多の時代に、意識的に休むスパン別のポイント(月・週・日), 踊るOL。2012.05.30, https://jaggyboss.jugem.cc/?eid=1941(閲覧日2024.10.27) ↩︎
  3. 現在は削除されている ↩︎
  4. 「よい」とされてきたことに疑問を持とう――澤円氏が語った、変化の激しい世界で生き抜くために必要なマインドセットとは?, EdTechZine, 2019.11.05, https://edtechzine.jp/article/detail/2751(閲覧日2024.10.27) ↩︎
  5. オープンタレントサミット〜令和元年、これから求められる本当の働き方改革とは?〜, logmi Biz, 2019.12.04, https://logmi.jp/business/articles/321986(閲覧日2024.10.27) ↩︎

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