嫌いだけど楽

うつ病

 以前入院したのがいつだったかふと気になって、昔のブログを見た。何の気なしに文章を読んでみたら、入院前と退院後で言葉づかいが別人かと思うほど違っていて驚愕した。これがうつ病が治るということなのか。入院前の私は難しい言葉で自分の思考を冷静かつ詳細に解析していて、いろんな意味で「この人すごい」と思ってしまった。こんな事ばかり考えていて疲れないのかなと少しだけ心配にもなる。それに比べて退院後は今の私と同じような感じなのだが、実に平凡な文章しか書けなくなっている。まさに小説「アルジャーノンに花束を」をリアルに体験したのだと思った。
 「アルジャーノンに花束を」は、知的障害者の主人公チャーリィが脳外科手術の被験者となり超知能を持つ天才になる話。しかし同じ手術で先に天才となったネズミのアルジャーノンが急速に知能が後退していくのを見て、自分もいつか同じようになることを悟ったチャーリィは、必死に生きる意味を探し自分とは何かを分析し、変化に抗おうともがき続ける。
 私は入院する1年前に、自分とチャーリィを重ねあわせてブログを書いていた。あの頃の私は、うつを治す過程で自分が変わってしまうことをひどく恐れていた。何も考えることのできない人間になるのが嫌だった。そしてうつ病が寛解した今、確かに私は別人になった。うつ的にはいい意味で”バカ”になった。昔のブログに共感してこのブログを見に来て下さった方は、さぞがっかりしていることだろうと思う。
 小説の中でチャーリィは、皮肉屋で嫌われ者の天才から、陽気で明るく純粋でみんなに愛される人物に戻った。天才だった頃の自分の記憶はないようだが、ネズミのアルジャーノンのことだけは覚えていたのが涙を誘ったものだ。私がチャーリィと決定的に違うのは、ある意味”天才”的だった自分が”バカ”になってしまったことを自覚していること。そして今でも、というかむしろ今の方が皮肉屋で嫉妬深い人間だということ。純粋に戻ったチャーリィは幸せそうに見えたが、今の私は果たして幸せなのだろうか。
 退院後しばらくしての記事で、「主さん作文みたいでちょっと心配だ」というコメントに対して、私は「作文みたいになっちゃうのは薬のせいなんです。すっかり”自分の考え”がなくなってしまいました。」と答えている。あの頃は薬の副作用のそわそわ感もすごかったし、急激にかわりゆく自分に戸惑っていたことを覚えている。でも続いて「こんな自分が今キライです。でもとてもラクです。」とも書いている。そしてうつ病は寛解した。これが真理なのだろうと思う。

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