またワンワン泣いてしまった。
私は夫と情緒的交流ができていない。夫と”会話”する内容は、彼が認知している事実についての情報交換のみだ。興味のない話や私の感想を挟んだりすると、夫は私の言葉と一語一句違わぬ”オウム返し”をするか「ほう」と生返事するか、または完全に無視する。
私「ベイスターズが勝った!」
夫「ベイスターズが勝ったねえ」
私「今日は足全体がチクチク痛いかも」
夫「今日は足全体がチクチク痛いねえ」
私「〇〇〇で△△△ってすごく違和感だよね。」
夫「ほう」← 文章が長いと覚えられない
私「××××だったんだって。酷いと思わない?」
夫「(無視)」← 興味なし
食事中の会話は全部が全部こんな感じ。馬鹿にされてるのかなと思ってしまうのをグッとこらえて、笑顔で黙る健気な私。そんな私がうっかり愚痴をこぼしたり悲しんだり泣いたり、あるいは具合悪そうにしていると、夫は無言でスーッと部屋を出ていきそのまま寝てしまう。夫は自己中心性1が非常に強いので、自分が理解&処理できないことは本人曰く「離れるのが一番」と思っているらしい。
無視されたり無言で離脱されたりするとさすがに辛いので、私は普段「痛い」「怠い」「寂しい」「悲しい」「嘆き」「不安」・・・色々な感情を全て内にため込んで我慢している。それが毎日毎日じわじわと心を蝕んでいるようで、夫のあるちょっとした行動でダムの決壊のように一気にバリアが崩れ、溜まっていた感情がドバっとあふれ出てしまうのだ。でも数時間も泣けば涙も止まる。翌日目は真っ赤に腫れてしまうが、誰に気づかれることもなくまた我慢の日々が始まる。ひたすらその繰り返し。たぶん死ぬまでずーっとずーっとその繰り返しだ。
さっき泣きながらふと母の事を思い出した。母も今思えば(父がASDのせいで)私と同じカサンドラ症候群2だったのだと思う。ただ母は母で気が強すぎたせいか父に「あなたが100%おかしい!きちがい!」と発狂ばかりしていたので、私は母のその苦しみに気づく事ができなかった。父はそんな母を見捨てることはなく怒鳴られ続けてもずっと母の隣に座っていたから、そんな優しい父になぜ母が発狂しているのか当時の私には理解できなかった。だから私も怒鳴る母の隣に座ってずっと黙っていた。今でこそ母は私と同じ悲しみをずっと抱いていたのだとわかる。しかも子供の私さえも理解してくれないという、二重の苦しみの中にいたのだろう。
母は癌がわかってから最後に意識を失うまで、父に「謝れ!謝れ!」となじり続けた。死の数週間前、母が「私なにかおかしいこと言ってる?私がおかしいの?あなたはどう思うの?どう思うのかって聞いてんの!」と私に怒鳴った時、人生最後の娘への問いかけの時、どうして私はパニックを起こして泣きじゃくって何も答えられなかったのか。嘘でも「ママは正しい」と言ってあげられなかったのか。母はどれだけの絶望感の中を死んでいったのだろうと思うと、悔やんでも悔やみきれない。だから私も母と同じ目に合うように、もっと辛い目に合うように、神様が罰を与えたのかもしれない。きっと私は人々から見放され理解されず、孤独にもだえ苦しみながら死ぬのだろう。そうでもしてもらわないと、罪を償うこともできない。
そんな母は、母だけは、私のことを常々気にかけてくれていた。もう母はいない。誰からも気づかれないこんな人生、なんの意味があるのかな。医療費だけやたらかかって本当に無駄な命。生きて迷惑ばかりかけてごめんなさい。一刻も早く終わりますように。
- 自己中心性(egocentrism)=自分と他人を明確に区別できず、他者の視点を理解できないこと。他者の視点は理解した上で”自分さえ良ければ他人はどうでもいい”と考える「自己中心的」とは異なる。https://sweetcocoro.com/自己中心性と自己中心的は全然違うらしい/ ↩︎
- カサンドラ症候群=アスペルガー症候群(ASD)を持つ配偶者、あるいはパートナーと情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉。夫との情緒的交流がうまくいかない妻は、何が何だか理由はわからないけれど苦しい、周囲は苦しんでいることを理解してくれないという二重の苦しみの状態にある。https://sweetcocoro.com/カサンドラ症候群かもしれないので調べてみた結/ ↩︎