どうせすぐ死ぬし

ここのところ何をするにも「どうせすぐ死ぬし」と思うようになってしまった。鬱が悪化している。

1つは未だに頭を離れない母の急死。人が死ぬのなどあっけないものだとつくづく思い知ったから。母の遺品は誰が使うわけでもないし、いつだれが整理するんだろうと他人事のように思っている。

もう1つは私に子供がいないこと。親戚もいないこと。夫とも情緒的交流が希薄で孤独なこと。私が死んでも悲しむ人も喜ぶ人もいない。物を残しても思い出を残しても処分をする人に迷惑をかけるだけ。私はなるべく何も残さず、身一つで旅立たなければならない。

そんな折、夫の伯父が亡くなった別の伯父の思い出アルバムなるものを作って送ってきた。親戚一同に配っているらしい。ビックリして二度見しつつ、つくづく幸せな人たちだなあと思った。私が身辺整理をしているというのに、ひと世代上の人たちがせっせと後々処分に困るような物を作って残しているなんて。うちの父なんかも割とそのクチだ。親戚がたくさんいるにしても、そういう知らない人の思い出を子供世代が喜ぶとでも思っているのだろうか。悪い言い方をすれば(子供がいるとこんなにも無責任になるものなのか)と呆れている。

ともあれ、私はどうせすぐ死ぬ。思い出を残してもなんのメリットもない。そう思うと何も楽しくないし、何もする気がおきない。昨日なんて間違えてパソコン内の写真やドキュメントがごっそり消えてしまったのだが、悲しくもなかった。デジタルデータはいいよね、捨てるの簡単で。

私にとって人生とは、生まれてしまった命を終わらせる準備をする長く短い時間なのである。

コメント

  1. 門傳 由美子 より:

    私も「すぐに死ねるから夫のことなんて関係ないや」と思っていますが
    犬猫の問題を考えるとそう簡単に「死」という言葉を口にするのは・・・ちょっとなと思ってます
    長いこと神経科の受診をしているので睡眠薬のストックはもの凄いことになっています
    缶に入れて2カ所に隠してあるのですが、両方合わせて800錠はあるでしょう
    それを全部飲んでしまえばこの世とはおさらばできる
    残される夫は悲しめばいいんだと思ってます
    最近物忘れが酷くなってきている私は顔はわかるんだけど名前が出てこない、何かをしようと
    ふと立ち上がっても「あれ?何しようとしたんだっけ?」って感じです。たぶん入院中の母より先に逝くことは可能ですが残される母がどうなってしまうのか・・・やっぱりもう少し生きてみようかな。

  2. どんぐりえ どんぐりえ より:

    由美子さん
    ほんと、夫たちはいい大人だから一人で生きていけるんだと思うけど、犬猫はそうはいかないから何が何でも生きなければと思います。
    私も~とくにカタカナが全く出てこなくて困ってます。
    抗うつ薬を長く飲みすぎるとボケるのも早いという噂を聞いたことがあるけれど、どうなんでしょうねぇ。
    森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」の歌詞にあったけど「くたばる喜びとっておけ」の精神でお互いに長生きしてみましょ!

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