先日某インターネット掲示板を眺めていたら、「ほんとうにほんとうに死にたいと思って毎日過ごしていると、世界のうつくしさが心に沁みるようになる」というカキコミがあった。「道路に飛び散ったガラスの破片、半分枯れた雑草、ほこりをかぶった車のウィンドウ、隣の家の柿の花、そんなものが何もかも信じられないくらいきれいできらきらして見える」って。わかりすぎるぐらいわかる。他にもわかると言っている人がいたので、これって”うつ病あるある”なのかなあと思った。
精神科からの帰り道、道端の雑草の花がきれいすぎてまぶしくて涙が止まらなくなった事があった。世界はこんなにも美しいのに、私はここで生きていくことはできないんだと思うと猛烈に悲しかった。でもじゃあ生きようという発想にはならないんだよね。感受性のリミッターでも壊れていたのだろうか。あんな風に世界が輝いて見えたのは十年間の闘病生活の中でも数ヶ月だった。今思えばあの頃が一番「死」に近づいていたのかもしれない。
昨日の散歩中ふと空を見上げたら、背の高い木の向こうに青空が広がっていた。もうきらきらはしていないけれど、やっぱり世界は美しいと思った。今は景色を見ても泣いたりしない。死にたいと思う気持ちを肯定するのはおかしいけれど、でもあの輝く世界を見たことはすごくいい経験だったと思う。あの情景だけは今でも思い出せるもの。
今まさに世界がきらきらして見える人は、貴重な体験をしているのだから存分に楽しんじゃってください。でも死なないで。他の事は頑張らなくていいから、ずっと寝てていいから、生きることだけはお願いだから頑張ってほしい。そしていつか一緒に思い出話をしましょうよ。
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