ブログを休んでいた間、たしか物理的に日記をつけていたはず・・・と思いクローゼットの中をごそごそ探したら日記帳が2冊出てきた。
1冊目については前回の記事でご紹介した通り、いわゆる「感謝日記」である。
遺書めいた謎の書き込みを最後にしばらく”日記”をつけていなかった私が次に始めたのは、その名もずばり「しあわせ日記」だったようだ。
なんかこれ覚えてる。確かLOFTで見つけたヤツ。2021年10月に突然母を亡くし、それから何度も死のうとして夫と衝突ばかりしていた私が、どうにか自分を変えなければと思って買った日記帳だった気がする。日記帳の表紙と裏表紙にこんな言葉が書いてあったから手に取ったのだ。
たくさんのしあわせをため込んで、ポジティブな気持ちになれる日記です。
一日の終わりは、良かったことでしめくくりましょう。
小さなことでも大丈夫。それは大きなしあわせにつながっていきます。
私は、リアルの知人友人からほぼ「いつもニコニコしてて幸せそう」と言われる。人を不快にさせないようにネガティブな発言は全力で避け、場を和ますことに心血を注いでいるのでそう思われるのだろう。でも日記やブログは違う。我ながら表裏ありすぎだろと思うが、外に出さないぶん心の中はドロドロ。負の感情が全部内向きの矢印になっているので、自分の心がズタズタなのである。俗に言う”微笑みうつ”1だ。
その負の感情を吐き出す唯一の場所が日記・ブログだった。だけどそれが幸せを遠ざけているのだとしたら、ポジティブな日記をつければ幸せに繋がるのであれば早速実行しなければ!そんな風に思ったのだと思う。
この「しあわせ日記」は1日に5行ずつ書くようになっていて、1ページに4日分、見開きで1週間。最後の1枠は自由に書くことができる”まとめ欄”になっている。2022年6月12日に書き始めていた日記には、本当に毎日よかったこと楽しかったことだけが書いてあった。たぶん一生懸命に頑張ったのだろう。けれどもその頃の私は(今思えば)関節リウマチを発症していたようで、あちこち不調が出ていたみたい。”まとめ欄”だけには、日々書けなかった辛さが綴られていた。
躁状態になってしゃべっていると無視されるから多分嫌なんだろう。自己肯定低い。承認欲求強い。首も腰も手も指も痛い。目も見えない。生きるのが辛い。こころ(愛犬)に「生まれ変わっても一緒に生きようね」と言ったが返事がない。我ながら頭おかしい。
体中が痛いし、わかってもらえない辛さ。話を聞いてもらえないのは本当に孤独で、自己肯定感0。自己否定の始まり。
あー辛い。読んでるだけで当時のしんどさが生々しく蘇ってくる。身体のあちこちが痛くて相談したいのに夫には無視されて、そのストレスでさらに痛みが増していたあの頃。それでも何とか前向きに生きようと、一生懸命もがいてたんだった。
そんな「しあわせ日記」も、5週目の7月14日で突然終わっていた。またしても。
幸せなことなんてないから書くのやめる。
この日記も捨てる。
なんということでしょう。今すぐ2年半前にワープして、ひとりで泣いていた自分を抱きしめてあげたくなった。無理しなくてもいいんだよと。
たぶんだけど、私のような”微笑みうつ”さんは「感謝日記」とか「しあわせ日記」とか書いちゃいけないのだと思う。いつも頑張ってポジティブなふりをしてたりするんだから、日記ぐらい好きなこと書かなきゃ。ドロドロを吐き出すところがなきゃだめだ。
あと今回2冊の日記帳を読んでみて、(個人的にだが)過去の自分の幸せな日記とか読み返しても全く面白くなかった。私ぐらい自己肯定感がマイナスに振り切ってると、人の不幸ではなく自分の不幸が蜜の味。自分の中で不幸な体験があればあるほどそれを乗り越えた自分が誇らしくなり、自己肯定感が少しだけ上がるのだ。逆に自分の「しあわせ日記」など読んでも自分じゃないみたいで、「嘘松乙!」と放り投げたくなってしまった。なんという天邪鬼。
そういう訳でブログを休んでいた間につけていた日記帳を読んだ結果、遺書らしきものを書きながらも生きのびていた自分を褒めつつ、「この日記も捨てる」などと言いながらも大事に保存していた自分を称えつつ、これからはブログには好きなことを書こうと決意を新たにした次第である。初代ブログには「ネガティブな感情をふりまかないでくださーい!早く消えてくださーい!」と言ってくる方がいたが、そう思う方がいらしたら是非そっ閉じしていただきたい。
- うつ状態にもかかわらず人前では笑顔で明るく振る舞ってしまっている状態を指します。家族や友人など周囲に気づかれにくい点が特徴です。責任感が強く我慢強い、人の顔色を伺う方がなりやすいです。(「人前では明るい「微笑みうつ病」とはどのような状態ですか? どのような人がなりやすいですか?」ユビー病気のQ&A )最終閲覧 2024/10/7 ↩︎
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