実はさっきまで泣いていた。
手首が痛い、足首が痛い、股関節が痛い、肩が痛い、だるくて熱っぽい、くらくらする、耳鳴りがする、頭痛(噛みしめが原因の左頬~左目の奥の痛み)がする。でも一生懸命に一生懸命に一生懸命に我慢していたら、夕方とつぜん何かの糸が切れた音がしてワーッと泣いてしまった。
通りかかった夫は「どうしたの?」と言って一瞬肩をポンポンしてくれたが、あんまり深入りするのも嫌みたいでそそくさと行ってしまった。
それからしばらく泣いたが、だんだん泣き疲れて「大丈夫、今までだって我慢できたじゃないか。これからもきっと我慢できる。」と思い立ち、涙をぬぐって夕食を作って食べた。私ってたくましい。えらいぞ私。
だが夕食後、録画していた「この歌詞が刺さった!グッとフレーズ」という番組を夫が流していたので、見ていたらまた泣いてしまった。YOASOBIの「Herat Beat」とかアンジェラ・アキの「15の君へ」とか、若者が刺さる歌詞の解説を聞いていた時。歌詞そのものに心を揺さぶられたのもあるし、若者やその親御さんのコメントに感動したのもあるが、それと同時に私と同年代の親世代からの「未来を担う若者に伝えたい」という趣旨のメッセージを聞けば聞くほど(自分のように子供もいなくて生産性もない死ぬのを待つだけの人間は生きている価値などどこにもない)と思い知らされる気がしたから。こんなに辛いのを我慢して治療して生き続けても残すものは何もない、いったい何になるんだろう。そう思って涙ぐんでしまった。鬱だからこういうネガティブ思考になるのかもしれないが、考えすぎるとまたグルグル考に陥るからとりあえず思考をシャットダウン。もう自分世代から下の親子は”しっかり”見ちゃダメ。対処法完璧じゃん。えらいぞ私。
そしてこの思いをブログに書いて浄化しようと思い立った。PC立ち上げてブラウザ開いて、管理画面にログインして新規投稿画面を開き、まずは話の前置きとして昨日あった死にそうになった経験を書いた。書いてたら思いのほかノリノリになって長くなってしまった。いや長すぎる。話としてまとめってしまった。しかも最後は「生きててよかった!」的な気持ちになってしまったではないか。
あれ?さっきまで泣いてた感情はなんだったんだっけ。本当に不思議である。やっぱり私にとって、ブログは吉田幸代先生がおっしゃる通り『生を支える一つのツール』なのだなあ。としみじみ思った。
ちなみに今のメンタルクリニックの主治医はよく「ぐりえさんは、ちゃんと自分で気持ちの切り替えができてるから安心して見ています」とおっしゃる。それを言われるたびに『いやいや、私だってその都度その都度死にたいと本気で思ってるのに』とモヤモヤするが、こうやって書き出してみるとなかなかどうして。私って自分が思っている以上にたくましい。
最近は何かあると「これはブログに書かなきゃ」と思い、無意識に記事の構成を考えている時がある。文章って言いたいことと結論を明確にすることが大事。そんな論文テクニックを使いながら頭の中で記事を組み立てていると、不思議と結論が見えてくることがあるのだ。逆に頭の中がグルグルしたままでも、書きながら結論が導きされる時もある。いずれにしても私にとってブログ、というか思いを文章にするという行為は、客観的な結論を導き出す最良の方法なのかもしれない。
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