いつの間にか怖い親から解放されていた

 Xでいわゆる『毒親』に関する投稿をよく見ていたら、おすすめにそんなのばっかり出てくるようになってしまった。もう見たくなくなってもどんどん流れてくるのは、Xの悪いところである。
 例えば最近共感していいねしたのはこれ。

 ここで出てくる「生き延びる」という言葉は、私が広島で初めてカウンセリングを受けた時に言われた言葉。先生から「よく頑張って生き延びてこられましたね」と言われて、不覚にも声を上げて泣いてしまったことを思い出す。恥ずかしながら50歳を過ぎて初めて自覚したが、毒親育ちのアダルトチルドレンはまさしく「サバイバー」なのだと思う。親から離れたい一心で死にたくても死ねなくて、仕方なく自我を押し殺して生命維持だけしてきたのは「生き延びた」と言って間違いない。

 ただ、リアルタイムに『毒親』に苦しんでいる人たちの投稿を読みながらふと気づいたのだが、母が亡くなってもうすぐ4年となる最近の私は明らかに昔とは違う。いつからこんなに自由に生きられるようになったのかよくわからないが、今の私は以前だったら四六時中考えていた(今ごろ怒り狂っているのではないか)(父を殺しているのではないか)(いつ怒りの電話がかかってくるか)(そろそろこちらから電話しないと怒られる)(そろそろ会わないといけない)という恐怖から完全に解放されているのだ。
 今でもその気持ちを思い出してしまうと心臓がバクバクして息が浅くなることは確かだが、こうしてわざわざ思い出さない限り普段は母の事を完全に忘れられている。私が最近やたらと夫の文句を言うようになったのも、母を忘れて自由に生きられる時間が増えたからに他ならない。やっと自分の本当の気持ちがわかるようになってきたからに他ならない。

 こんな日がくるとは思わなかった。私は一生母のためにしか生きられないと絶望していた。母が亡くなった後は用済みになったと思って死のうと思っていたのに、いつの間にか自分の好きなものを自由に買ったり、自分の好きなことのために自由に時間を使ったりできるようになっている。昔の自分を考えたら比べ物にならないぐらい幸せだ。

 「時間が解決してくれる」は至言である。もし今『毒親』に苦しんでいる方がいたら、自分では解決できなくてもかなりの確率で「親は先にいく」ので、60歳前後になれば楽になれますよと教えてあげたい。だって『毒親は縁を切るのが最善策』と言われたって、親が元気な時にそんな恐ろしい事できっこなかったもん。そんな恐ろしい事ができる勇気があるなら、最初から苦しんでなんかなかったもん。

 私はもうあと何年生きられるかわからないし、相変わらず自己肯定感は低いし大きな音が怖くて他人の感情に過敏だし、子供はいないし夫とは情緒を通わせることはできないし、生きづらいストレスでうつ病と関節リウマチになっちゃったけど、それでもそういう自分の気持ちを自由に感じることができるのは十分幸せだ。


 ここまで書いてまたちょっとだけ罪悪感。もし死後の世界があってまた母と会ったりしたら「育て方を間違った!」と発狂されるだろうな。世の中の頑張ってるお母さんたちに「産み育ててくれた母親が死んで幸せだなんて人間じゃない!」「子供がいないから親の気持ちがわからないんだ!」と叩かれるだろうな。

 すごく怖いけど、少しぐらいは自分の思うことを表現してもいいよね。どうか母にも毒親を知らないお母さんたちにも見つかりませんように。見つかったとしたらみんなは天国に行って私だけ地獄に行けますように。

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