抜かされる女

エッセイ

 私はよく順番を抜かされる。以前にも病院で順番待ちをしているときに後から来た人がどんどん呼ばれた話を書いたが、そういう経験は一度や二度ではない。車を運転していても、たとえば駐車場待ちなどで誘導員に私の存在を忘れられて、なぜか後ろの車を先に通されるようなことがよくある。スーパーやデパートで後から来た人に抜かされそうになるのはしょっちゅう。
 そんな愚痴を夫にこぼしていたら、「もう抜かされる星のもとに生まれたんだから仕方ないってあきらめるしかないよ」と笑われた。目からウロコが落ちたような気がした。そう考えれば全て納得がいく。日常生活でもそう思うようにしたら、なんとなく楽になってきた。順番を抜かされると「はい来た!」と笑ってしまうようになった。昨日もあるサイトで毎週告知されるべき件が私の回だけ告知されずに翌週になっていた事に気づいたが、「私の抜かされパワーってこんなところにも発揮されるんだ」と感動すら覚えた。
 小さい頃からずっと自他ともに認める強運の持ち主だった。何もしていなくても不思議と私のいいように事が進んでくれた。30歳を過ぎた頃からいろいろと歯車が狂い始めてうつ病になった。たぶん一生分の運を若いうちに使いきってしまったのだろう。それなのに何もしないという癖だけが残ってしまった。いつか誰かが気づいてどうにかしてくれると信じているのがおめでたい。我ながらガツガツさが足りていないことは自覚している。それゆえ存在を主張するオーラが全く出ていないのだと思う。
 でもなんだか疲れてしまうのだ。あわよくば抜かしたくて仕方のない人がたくさんいる世の中だ。そんな中で自分をアピールしていくのは本当に疲れる。もうこのまま誰にも気づかれずに抜かされまくりの人生でもいい気がしている。そういう運命だと受け入れてイライラをできるだけ軽減しながらひっそり過ごすのが、苦しまずに生きていくための知恵だと思っている。

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