幽霊人命救助隊

 本を読んだ。おそらく10年以上ぶりのことだ。うつ病の症状の1つに本や新聞が読めなくなるというものがあるが、私も例に洩れず読めなくなっていた。小さい頃から本が好きで、ほぼ毎日小説を読んでいたにも関わらずである。そのわりにパソコンの活字が読めているのは不思議ではあるが、とにかく本はいくら読んでも内容が頭に入ってこなくなり、そのうち読もうという意欲もなくなってしまった。
 あれから10年余。きっかけはネットだった。なにげなく見ていたサイトに感動する小説の一文がいくつか書かれていて、その中の1つが目に止まったのだった。

楽しいことばかりじゃないのに、辛いことのほうが多いのに、生きていてくれて本当にありがとう。

高野和明さんの「幽霊人命救助隊」だった。こんな優しい言葉が出てくるなんて、いったいどんな話なんだろうと思い、久しぶりに本を読んでみたいという気持ちが芽生えてきた。
 早速Amazonを見に行くと、自殺した4人の幽霊たちが自殺志願者100人の命を救わなければならなくなった話とある。表紙絵のオレンジ色のレスキュー隊のユニフォームが、いわば制服マニアである私の心を刺激した。レビューをいくつか読むと「涙が出た」「本作を読んで自殺をする人が減ってくれれば」「うつ病の人が読むべき」などという声に混じって、重度のうつ病患者だという人の「あまりに辛くて死にたくなった」「本当のうつ病患者には読んでほしくない作品」という意見があって一瞬躊躇したが、あえてチャレンジしてみようという気分で購入ボタンを押してみた。
 昨日、大学病院へ行くため都内へ向かう電車の中で読み始めた。自殺を扱っているというわりには軽い雰囲気で、どちらかというとコメディのような文章だ。ちょっと拍子抜けしてしまったが、その分読みやすかった。1人目を救助するときの言葉

寂しい人は声を出さないのよ!寂しすぎるから何も言えないの!分かってあげて!この人を見捨てないで!

を読んだとき、なぜか勝手に涙が出てきてしまった。これがレビューにもあった「涙腺を刺激される」ということか。電車の中で泣いてしまうのは恥ずかしいと思い、行きはそこで読むのをやめた。
 帰り道、気を取り直して読み進めていくと、うつ病患者を救助する話になった。さてどうするのかと思っていたら、「精神病院に行きさえすれば死なずにすむ」とある。そしてうつ病患者をかたっぱしから精神病院へ送り込んで任務を完了する救助隊員たち。ここで私は「あれ?」と違和感を感じた。確かにうつ病は病院へ行って治療をすることも大事だがそれは始まりに過ぎず、そこからまた地獄の戦いが待っている病気だ。病院に通っていても残念ながら自殺をしてしまう患者さんだっているではないか。7週間で100人を救わなければならないという設定なので仕方がないとはいえ、これはひどい。
 しかもうつ病の人の心の中が私の経験とは違うのも気になった。少なくとも私は、客観的に自分の置かれている状況を憂えるような状態ではなかった。とにかく自分を責めて、私には生きる価値がないと言い聞かせて、自分を責めて責めて責めて責めて責めまくった。自分で自分を針のむしろの上に座らせているようなあの苦しい感情が、きちんと表現されていないと思った。もちろんこれは私だけかもしれないので、そうでないならうつ病ではないとも言えないけれども。
 それから私はちょっと白けてしまい、斜め読みのような感じでパラパラっと一気に読み終えた。借金苦の問題も、弁護士のところに連れて行きさえすれば救助成功という設定に違和感を感じつつ。それでも最後の自殺志願者を救助するエピソードは丁寧に書かれていたので、少しホロっとした。それを考えるとやはり100人という数がとても残念。思いきって5人ぐらいに絞った話でも良かったのではないかと思った。
 ちなみに最後の最後に私がこの本を買うきっかけとなった上述の”感動する一文”がようやく出てきたのだが、想像していたほどの感動はなく意外なほどあっさり通過。むしろ私がこの本で一番心打たれた言葉は、途中でサラっと出てきた

人が生きていることには意味も目的もないのではないか。人はただこの世に居るだけではないか。そう考えたほうが気が楽だ。

という一文だったかもしれない。私はこの真実に気づくのに10年かかったのだから。
 読み終えて思ったこと。うつ病の人はまず本を読まないと思うが、やはりこの本はうつ病の人が読むべき本ではない。これは健康な人が娯楽として読む本であって、「自殺志願者の心境が理解できる」とかそんな高尚なものでもない。ただこの本を読んだ健康な人が将来うつ状態になってしまったときに、「そういえばあの本で精神病院に行けば治るって言ってたなあ」と思い出して早々に適切な治療をすることができるのであれば、それはとてもいい事だと思う。
 そして人の心をモニターできる幽霊たちを羨ましく思った。周囲の人や反対の立場の人の心までもがわかれば、確かに自殺する人は減るかもしれない。深読みすることもない。疑心暗鬼になることもない。人間社会の中で人の心が読めないことの苦しきことよ。それでも読もうとするからなお苦しいのだ。でも人間は人間。幽霊たちを見習うこともない。読むのをやめてしまえ。もっと他人に無関心であれ。何事も考えすぎる私自身に関して言えば、今はそう思う。
 このようにして私の久しぶりの読書は、約600ページの小説を2日間で読了。やればできるじゃんという達成感はあった。後から調べて知ったのだが、著者の高野和明さんは小説家でもあるがもともと脚本家なのだそうだ。この小説が娯楽作品であることに納得。リハビリにはちょうどいい本だったかもしれない。

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