遠方に住む姉から電話があり話をしていたら、ゴールデンウィークに実家に行ってあげてと言われた。母がまた知人のべったり母娘関係を羨ましそうに話していたのだという。だから近くに住むぐりえちゃんが行ってあげてと。「実家とは距離をとりたい」なんて言ったら叱られるのだろうか。夫がずっと家にいてくれるので楽しみにしていたゴールデンウィークが、かなり憂鬱になった。
おそるおそる母に電話をした。幸い母は機嫌がよかったので普通に話をすることができた。「病院に行ったんだって?」と聞かれたので「精密検査受けたけど異常なかったよ。」と答えたら「ほらそういうもんなのよ。病院なんて行かなくていいの。」と言われた。「よかった。」とは一言も言ってもらえなかった。期待もしていなかったけれど。
うつ病の薬を飲まなくて良くなったことを伝えたときも、「それがいい。抗うつ薬なんて毒でしかない。」としか言われなかったことを思い出した。病気でもないのに好きで薬を飲んでいたかのような言われようだった。どれだけ壮絶な経験をしたのか、どれだけ断薬までの道のりが長かったのか、全くわかってくれていなかったんだなと悲しくなった。母には辛かった時の本当の私を見せていないので仕方ないのかもしれないが、やはり今でもうつ病への理解はないのだと思う。
姉の話に戻るが、姉は薬を飲まなくなったときも精密検査の結果が異常なしだったときも、まず第一声「よかった!おめでとう!」と言ってくれた。まさかこの手の話を身内に喜んでもらえるとは思っていなかったので、すごくビックリした。姉も母と同じような考えの人なのかと思っていたのだが、実は姉は心優しい人だった。
自分が幸せになることは悪だとどこかで思っている私は、いいニュースを人に報告するときの相手の反応が怖い。おずおずと報告したときに「よかったね。」と言われるのには未だに慣れないが、たまに言われて「ああ、別にいいんだ。」と安堵することを覚えてきた。またそういう風に言ってくれる人は、本当に大切にしたいと思うようになった。人の幸せを一緒に喜ぶのは、人の不幸を一緒に悲しむより難しいと言う。私はきちんと誰かの幸せを喜べる人になっているだろうか。
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