やっと家事にプライドが持てるようになってきた

 2025年春ドラマは「波うららかに、めおと日和」という昭和11年を舞台にしたドラマを見た。

それ以来、なぜか今までイヤイヤやっていた家事が、きちんとできるようになってきた話をしよう。

 思えば我が家が夫婦でバリバリ働いていた頃は、家事は『気づいたもん負け』だった。気づいた方が家事をやるルールだったから、気づかない夫と気づきやすい私では明らかに私の分が悪かった。

 そもそも私は毎日のように夜遅くまで仕事をして、終電に飛び乗ってお酒臭い飲み会帰りのおじさんたちにもみくちゃにされながらヘトヘトになって帰っていたので、平日に家のことはほとんどできなかった。
 夫は車通勤だったので私よりも更に帰宅が遅く、家には寝に帰るだけ。というか夫の実家は義母が家事を一切やらない家庭だったようで、夫にとって”家”とは『寝るだけの場所』だと知ったのは結婚してからのこと。夫に”家事”という発想がなく、休日になると「今日はどこに遊びに行こうか?」と言うから困ってしまった。

 そんな調子だったので、休日には私だけが必死に家事を『やらされていた』といっても過言ではない。例えば私が必死に掃除をしていても、夫に「掃除なんてしなくても死なない」「誇りも汚れも全然見えない」「やらなくていいのに」と言われ、必死に料理をしていても「コンビニで弁当買ってきた方が安くて速いのに」と言われるから、まさに(気にしてしまった私の負けだなあ)と思っていた。

 かくいう私も実家にいた時は、家事のプロであり完璧主義の母が「家のことには手を出さないで!」と言うのでほとんど家事をしていなかった。なので結婚してから私ばかりが家事を『やらされている』事が、本当に嫌で嫌で仕方がなかった。とはいえ母の完璧な家事を知っていたので、汚い家やコンビニ弁当も嫌。まさに孤軍奮闘だった。ただでさえ会社でもストレスフルな生活だったのに家でもストレスフルで、結果的に体調を崩してしまったと言ってもよい。

 という訳で、私は休職していても退職してからも「やむを得ない理由で家事を『やらされている』」と思ってしまい、夫には「そんなことしなくていいのに」と言われ続け、掃除も料理も義務感だけでイヤイヤやっていた。

 ところが、前述のドラマ「波うららかに、めおと日和」を見ていたら、昭和11年はガスも家電もない時代だった。料理はかまどの火起こしから始まりフーフーと火加減の調節、洗濯物は庭先でたらいに洗濯板でゴシゴシ洗い、アイロンは真っ赤に燃えた炭を入れる炭火アイロン、こたつは練炭を中に入れてる練炭こたつ、全てが大変な作業で、昔は『家を守る』という仕事がいかに重要だったかがよくわかった。
 昭和の時代、男の人が家にいても何もできず「座っててください(笑)」と言われる理由は、”専業主婦”という仕事があまりにも専門的すぎるからだったんだろうな。

 そんな風に主婦に対するイメージが変わると、素直に「家事をきちんとやるってすごいことなんだなあ」と思えてきた。そして「不器用なうちの夫に家事を任せる訳にはいかない」と強く思うようになってしまった。家を一人で守ることは”専門的職業”であって、誰にでもできることではないのではないという意識が芽生えたのだ。

 それから不思議と掃除も料理もやりがいが出てきて、「自分のことぐらい自分でやってよ」「なんでこれぐらいの事やってくれないの」という気持ちがほとんどなくなった。「これは私にしかできない仕事」というプライドが遅ればせながら私にも生まれてきたらしい。
 決して「部屋とYシャツと私」みたいに『愛するあなたのため~』という気持ち悪いモチベーションではない、ただの”専門的職業”に対するプライドである。

 ただの無職ニートであるおばさんが何を言ってるのか、当たり前じゃねーかと思うかもしれない。だが、これは人類にとっては小さな一歩だが、私という一人の人間にとっては偉大な飛躍なのである。

コメント

  1. あおい より:

    ぐりえさん、こんにちは。⁠◕⁠‿⁠◕⁠。

    ぐりえさんさんの「めおと日和」への考察が深くて、深く頷きましたよ。
    私もこのドラマ見ていました!しかし、ぐりえさんのように頭のキレない私は「いくら初心って言っても度が過ぎるだろ!」とか、なつみさん(でしたかね?)は、何か特性持ちなんたろうか?とか思ってました(笑)

    というのも、この時代は私の両親の生きた時代なんですよ。朝ドラ「あんぱん」も時代が被っていた時がありましたが、やなせたかし先生とうちの両親は同い年でした。
    両親は戦争が無ければ出会っていません。終戦後父が地元(大阪)に帰り、その後遠距離期間が5年もありました。
    父が一度知人を介して結婚の申し込みをしたのを、祖母が握り潰したらしい(笑)

    そんなこんなで両親が結婚したので、「めおと日和」のような顔もよく知らず結婚、というのがひたすら私には珍しかった。尤も母の同級生は殆どそういう結婚をしたらしいですが。
    当時は家電もなく不便過ぎて、家を守るのは大変だったと思われます。受けた教育も全く違うし… 子育ても勿論ワンオペですよね。母も、父の通勤のためのカッターシャツを作ったと言ってましたから。もうビックリですよ。

    そんな母を見ていたのに、私は家事が病気になる前から苦手(というか手抜き)でした。唯一、料理だけは大学生の時習っていたのでまずまず。きっとぐりえさんは、お仕事をされていた時と同じように、家事も無駄なくテキパキこなしたいんだろうな〜と思いました。
    実際家事というのは、やろうと思うときりがなく、奥が深い仕事だろうと思います。

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