やけに夏が長いなあと思っていたのはつい先日の事のようなのに、気づけば12月になっていて、近くのイチョウ並木がまばゆいほどの黄金色になっていた。私はそれを見ると亡くなった母を思い出さずにはいられない。母は紅葉したこのイチョウ並木が大好きで、私がこの街に引っ越すことが決まったことをそれはそれは喜んでくれていた。私も秋になったら母を呼んで一緒に紅葉を見ようと思っていたのに、母は秋を待つことなくあっという間に逝ってしまった。想像をはるかに超えるスピードで逝ってしまったのだ。だからこの季節になると、心残りの苦々しさに胸をぎゅーっと掴まれたまま黄金色のイチョウを眺めている。
生と死は隣り合わせだと最近よく思う。この一年は私も体調の良くない日が多くて、何度か倒れては苦しい思いをした。一歩間違えば死んでいたのではないかと思うこともあった。本当に死にそうになると人はしゃべることもできない。考えることもできない。ただもがくだけ。つい1時間前は元気にしていても、突然そういう状況になることもある。つくづく思い知った。
私が今まで想像していた一般的な「死に方」とは、テレビドラマのようにお医者さんから余命を宣告されて、長い闘病の末旅立つものだった。最初は泣きわめいて周りを困らせるが、結局は受け入れてやり残したことをやり、心置きなく旅立つパターン。でもそんな幸せな人なんて、本当は一握りなのではないかと思えてきた。多くの人は突然の病気や事故でろくに意志を伝えることもできないまま死んでしまうのだろうし、母がそうであったように自分もそうなるような気がしてならない。
だからこそいつ死んでもいいようにもっと色々やっておかなくては、と最近強く思う。少しでも長生きしたいとか全く思わない。食べたいものを食べれるうちに食べよう。飲みたいものを飲めるうちに飲もう。できるだけ言いたいことを言って、やりたいことをやろう。なるべく物は増やさないようにして、あまり使わないものは全部捨ててしまおう。身辺整理は今のうちに。死んだ後に頼みたいこと、感謝したいこと、全部しっかり書いておこう。あと何年生きられるかわからないけど、心置きなく旅立てるように。
そして願わくば、死んだ後のことを1mmも考えていない父より先に死ねますように。
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