「いつでもどこでもだれとでも」はいいことなのか?

エッセイ

 こう言っちゃなんだけど、インターネット初期の頃はインターネットを使える人は限られてたから、ネット上の議論の場所では思想は違えど同じ常識レベルで話ができてたんだと思う。悪いことをすると叱る先輩がちゃんといて初見は半年ROMってたから、嘘を嘘と見抜くことなんて容易いことだった。

 それがスマホができてから世の中の様子が一変してしまった気がしている。著名な研究者や国や企業のトップがSNSで「ばか」だの「あほ」だの直接言われてるのを見て、「なんだこれは…」と頭を抱えてしまう私。相手の素性を調べることもせず、場の空気をよむこともせず、嘘か真実か調べることもせず、デマであっても相手を傷つける発言であっても思いついたらその場で大きな声で全世界にむけて発言できるのがSNSなのか。いい時代になったものだ(ほめてない)

 私たち無線通信技術者が1990年代に口にしていた合言葉は「いつでも どこでも だれとでも」だった。当時はポケベルが主流で、個人用の携帯電話はまだ普及していなかった。そんな時代にうちの室長がイラストレーターさんに描いてもらった未来予想図には、公園やカフェで携帯電話しながらノートPCを開いて仕事をする人の姿があったことを覚えている。本当にこんな時代がくるのかなあとワクワクしながら日々研究を重ねていたあの日々。そんな時代は思ったよりすぐにやってきた。

 ところがスマホの普及から10年ほどたった今、私たちの予想とは全く違う世界が広がっている。子供みたいな人が布団の中でスマホ片手に専門家に向かって「ばかなんですか?www」と打ってはニヤニヤしてる様子が目に浮かぶ。こんな未来、誰が予想しただろうか。こんな事のために人類共通の財産である”電波”はあるのか?こんな世界にするために無線通信技術を発展させたのか?悶々とする日々である。

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