2日前のニュースでご存知の方も多いだろう。御嶽山の噴火で亡くなった横浜市の会社員の男性の両親に、小学5年生の女の子に着せてあげた遺品の登山用ジャケットが届けられたというニュース。いい話としてさかんに報道されていたし、私があえてブログ記事にしたところでなんだか安っぽい言葉でしか説明ができないと思って、記事にはしないでいた。でもさっき犬の散歩をしていた時に、なぜか突然女の子のお父さんの言葉が脳裏に浮かび、歩きながら涙が勝手に出てきてしまったのでやはり記事にしておく。
人一倍臆病な感じの子だったのですごい怖かったと思うが、少しでも和らいだのではないかと思う。
寒い寒いと言っていたという小学生の長山照利さん。さぞ辛く寂しく怖かっただろう。最後に人の温かさに触れることができたのが、本当にわずな救いだったと思う。私は誰かが今際の際にあるときに、その人を安心させる何かをできるのだろうか。私は自分が最期を迎える時に、誰のぬくもりにも触れることなく辛い苦しいだけの思いだけを抱えて逝くのではないだろうか。なんだか色々と考えてしまった。
そしてこのニュースでは何よりも、女の子にジャケットを着せてあげた近江屋洋さんのお父さんのコメントがすごかった。「切迫した状態のなかで、息子が女の子を守ってあげようとした勇気を褒めてあげたい。」とした上で
ただ、特別のことをしたわけではないと思います。目の前にけがをした子がいれば、誰であっても同じことをすると思います。
なんと謙虚で立派なお父さんだろうか。このお父さんに育てられたから、洋さんは自然とジャケットを差し出すことができたのだろうなあと思う。できれば生きて帰ってきてほしかった。優しい人ほど早く死ぬのは世の常で、神様に愛されているから呼ばれるのだとかこの世での使命をすでに果たしたからだとか色々言われるが、でもやっぱり何もできない私なんかが生きながらえるよりもこういう人こそ長生きするべきなのだ。神様はいじわるだと思う。
どうか照利さんも洋さんも安らかにお眠りください。
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御嶽山 女児に着せたジャケット遺族のもとへ(NHK NEWS WEB)
“勇気の証”が両親の元に…御嶽山噴火中、少女包んだジャケット(スポニチAnnex)
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