寛容

続々・どんぐりの背比べ

 どこにも一定数はいるのだろうが、私のFacebookの友人の中にもフェミニスト(?)な一団がいて、世間の女性への風当たりを感じるとすぐに反論するグループがある。例えば最近だと、STAP細胞の女性研究者の論文不正報道がされると「こういう男性の嫉妬が女性の社会進出を拒んでいる。」と言ったり、ネットのベビーシッターに乳児を預けた母親が批判されていると「母親に非はない。働く母親を守らない社会が悪い。」と言ったり。そうした投稿につくコメントも「全く同意。」といったものばかりなので、社会以前にやはり個人の問題もあるのではと思ってしまう私はどうにも居心地が悪い。Facebookは実名だからキレイ事しか書けなくてそうなってしまうのかもしれないし、この人達の頭の中が本当にそういう考えなのかはわからない。でもわざわざ頻繁に投稿をするということは、少なからずそう思っているのだろう。
 私はよほどの理由がない限り決められたルールやマナーは守らなければならないと思う古い人間なので、それを守らない人に対しては男女関係なく眉をひそめる方だ。かと言ってバッシングに参加することもないしなるべく見ないようにしているのだが、あえて女性だからと言って理由をつけて擁護する人達を見るとどうしても気になってまう。
 つい先日は、”電車内でパンを食べる女”を批判している男性のブログをシェアして、「食べる方にも何か理由があるだろうに、一方的に批判するなんて。」と言い始めた人がいた。続いて「本当です。他人への想像力が足りませんね。」と同意のコメント。忙しくて移動中しか食べる時間が取れないのでは?何日間も食事が取れずにやっと食べているのかも?食べづわりでは?女性は色々と大変なんです!あの手この手で理由をつけ始めたグループの面々。いやいや、ただニオイが不愉快だからやめろというだけの記事に、とにかく逞しすぎる想像力である。何時間も乗ってるわけじゃないんだから普通は周りの迷惑を考えて食べるのを我慢するし、どうしても食べたいなら電車を降りてからにすればいいのにと思うのは私だけなのか、常識というものがわからなくなってしまった。
 私はそもそも自分に厳しすぎるところがあって、その延長で自分と同じ立場の人にも厳しいところがある。なので例えば女性のマナーには逆に厳しくて、どちらかというと自分の常識から逸脱する女性を見ると「同じ女として恥ずかしい」と思ってしまう。でもFacebookの彼女たちは、普段の投稿から想像するに自分や自分が属するカテゴリーの人に対してかなり寛容だ。いや寛容どころかむしろ積極的に自己弁護している。そして自分と異なるカテゴリーの人達に対する攻撃は容赦無い。この「自分には甘い」という姿勢に、そもそも私がフェミニスト(?)な一団にモヤモヤする原因があるような気がする。それは自分を甘やかす人への苛立ちなのか、それとも私がそうできないために起こる嫉妬なのか。
 1つ確かなことは、彼女たちは活き活きとしていてうつ病になどなりそうにもなく、私はようやくうつ病が寛解した今も日々反省ばかりでイライラ悶々としている。今の日本社会、自分に甘くないと上手に生きていけないということは頭ではわかっている。それでも私はできるだけ他人に迷惑をかけたくないから、自分を律することをやめはしないだろう。もし彼女たちから見習うことがあるとすれば、他人に対して寛容になること。そこだけは真似したいものだ。

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